2009年06月30日

旅人

tabibito.jpg
誰かに似ている。そう思いながら、僕は『はなのうず』こと山下卓男

(ミュージシャン/27歳)のブログを読んでいた。

開設以来約4年間、彼はほぼ毎日ブログを書き続けている。しかも1つ1

つの記事が長文のため、僕はブログを読破するのに5日間もの時間を費

やした。量だけで言えば「罪と罰」に匹敵する大長編だが、不思議と読

みながら疲労感を覚えることはなかった。

そもそも、彼のブログに書かれているのは情報ではなく、また記録でも

ない。メッセージ、という表現が近いかもしれないが、そのひと言だけ

では不十分に思える。

例えるなら、コップから水が溢れるように、山下卓男という器に納まり

きれず、溢れ出た思いが文章になったもの。そういった感じだ。


都内の居酒屋で、はなのうず氏(『はなのうず』は元々ユニット。現在

は訳あって山下卓男1人だが、活動は『はなのうず』として行っている

ため、この記事内でも以下その呼称)にインタビューを行った。愛知県

出身、19歳の頃に上京してきたという彼は、関西のイントネーションが

残るも、丁寧な口調で質問に応じてくれた。

日本全国を旅しながら、1年間に47都道府県で100本のライブを行う。は

なのうず氏が現在取り組んでいる活動がそれだ(ちなみにこのインタビ

ューが行われた5/7の時点で、既に約1/3のライブが終了している)。

旅の持ち物はギターと簡素な手荷物、それに自らのCDのみ。生活費は基

本的にCDの売上で捻出するという、過酷な自給自足のツアーだ。

「…すごい行動力ですね」

僕は感嘆してそう告げる。

「よく言われるんですけどね、好きなことをするのは自然なことだと思

ってますね。だから、自分が特別だとは思ってないですね」

レコード会社に所属しているわけではなく、メジャーデビューしている

わけでもないはなのうず氏には、もちろんマネージャーもプロデューサ

ーもいない。ライブハウスへのブッキングもCDの販売も宿探しも、何か

ら何まで全て自分で行うのだ。

この日本全国弾き語りの旅は、今から6年前に初めて決行されて以来、

毎年の恒例となっている。


はなのうず氏が音楽を始めたのは、高校3年生の頃。路上でオリジナル

曲を歌っていた友人に触発され、自分もオリジナル曲を作りたいと、ア

コースティック・ギターを母親に買ってもらったのが始まりだった。

念願のオリジナル曲を作り、路上デビューを果たして満足していた彼だ

ったが、ある夜「ザ・ブルーハーツ」のライブビデオを見て衝撃が走っ

た。

ヒロトが、マーシーが、河ちゃんが、梶君が、ステージの上でロックン

ロールを奏で、数万人の観客の心を動かしている。その光景に鳥肌が立

ち、心臓はたちまち早鐘を打ち始めた。

「見てたんですけどね、それまでもそのビデオを。CDも聴いてたんです

けど、何かその夜は感じるものがあって」

何かが変わりそうな予感がして、その夜はほとんど眠ることができなか

った。翌日の朝一番、はなのうず氏は友人に電話をしてこう告げた。

「バンドしようや」。

そして、彼がリーダー兼ボーカルを務めるバンドは始動する。1年間猛

練習した後、念願の初ライブ。曲は、はなのうず氏が書き溜めたオリジ

ナル曲を中心に選曲した。


ライブが終わって数時間が経っても、メンバー達の興奮は一向に冷めや

らなかった。1人硬い表情のままだったはなのうず氏以外は。

メンバーの部屋でライブビデオを見ながら皆で騒いでいる最中、彼は不

意にこう告げた。

「オレ、バンド抜けるわ」

一瞬にして場の空気は凍りついた。冗談だろ?とメンバーの1人が笑い

ながら言う。だが、はなのうず氏の表情を見て、メンバー達はそれが冗

談でないことを悟った。

必死の説得が続いたが、はなのうず氏は決断を変えなかった。話し合い

の最中、ドラマーはひと言も喋らずに涙を流していた。

そして、バンドは解散。そこには、何事も抱え込んでしまう性質だった

はなのうず氏なりの苦悩があった。

「集団の中で、言いたいことも言えなかったり、遠慮というか、抑えて

しまっている自分がいたんです。バンドってこんな関係じゃいけない。

そう思って、一旦離れることを決めたんです」


失意の中、はなのうず氏は何かに導かれるかのように、ギターを持って

旅に出た。

少々溜まっていた貯金を財布に詰め込み、クビを覚悟でバイト先に長期

休暇を申請し、移動手段には原チャリを選んだ。目的は「弾き語りをし

ながら本州を一周すること」。

出発早々に原チャリが壊れるというアクシデントに見舞われるも、彼は

電車に乗り代えて旅を続けた。ここで戻ったら何も変わらないと思っ

た。引き返すつもりはさらさらなかった。


旅の思い出は、とてもひと言では語りきれない。

怪しげな宗教の勧誘に迫られたこともある。

宿が見つからず、野宿をしたこともある。

ゲイに襲われ、貞操を奪われそうになったこともある。

音楽評論家を名乗る人物に歌詞を酷評され、悔し涙を流したこともあ

る。

それでも、はなのうず氏はへこたれなかった。

路上ライブをする彼の前で足を止めてくれた人。曲に聴き入ってくれた

人。良かったですと言い、CDを購入してくれた人。投げ銭をしてくれた

人。差し入れをしてくれた人。食事をご馳走してくれた人。自宅に泊め

てくれた人。そして、友達になってくれた人。

はなのうず氏は路上で歌い、ライブハウスで歌い、そしてまた次の歌う

場所を目指して旅を続けた。行く先々でのたくさんの出会いと人の優し

さが、孤独な旅を続ける彼を支え続けた。

極度の人見知りの彼だが、初のヒッチハイクに挑戦もした。以前の彼か

らは考えられないことだそうだ。


数え切れないほどの出会いの中で、忘れられないのが山形で出会った人

達のことだ。

夜、山形駅の前で引き語りをしていると、1人の中年男性が声をかけて

きた。

「うちの店でやらんか?」

話を聞くと、その人物はバーや居酒屋の経営者。少々の怪しさと不安を

ノリで打ち消し、はなのうず氏はその人物が経営しているというバーで

歌うことになった。

最初はブルーハーツの曲を歌っていたが、客にオリジナルをリクエスト

されて「血」という曲を歌った。

「血が流れるのはそこらじゅうじゃなくて 

体の中だけでいい」

そんな歌詞が印象的な、反戦の思いを込めたメッセージソングだ。

歌い終えると、猛烈な拍手がはなのうず氏に向けられた。客席を見渡す

と、1人の客が涙を流していた。それを見た瞬間、はなのうず氏の胸

に、言葉にできないほどの感情が込み上げてきた。

「それまでは、音楽っていったらバンドだと思っていました。けどこの

ときの経験のおかげで、人に何かを伝えるのには、別にバンドじゃなく

てもいいんだなって。1人でもちゃんと伝わるんだって思いました。だ

から、この1人旅が自分の原点なんです」


音楽を始めた当時は、「プロになって音楽で飯を食ってゆく」ことこそ

が答えであり、幸せであり、ゴールであると頑なに信じていたはなのう

ず氏。

だが、旅での経験や様々な出会いが、彼の思いを少しずつ変えていっ

た。

「今は好きなことをしたい、に変わってますね。好きなことをするに

は、プロになるだけが手段じゃない。それは音楽で飯を食えればいいで

すけど、ギリギリの生活でも好きなことを続けたいですね」

そんな言葉通り、面白そうなことを思いつくと、実行に移さないと気が

済まないというはなのうず氏。

例えばあるとき、ミュージシャン仲間と「路上という場所で何かできな

いか?」と話していたときに思いついたのが、「路上番組」。

早速「O・A中」という看板を制作し、テーマ曲を作り、毎週月曜日の

夜、路上を舞台にその番組(?)はスタートした。

番組名は「ろくでなきブルース」。トークや遊びのコーナー、ゲストミ

ュージシャンを招いてのライブなど、予算はゼロながらも、はなのうず

氏達は勢いとアイデアで番組を盛り上げ続けた。ちなみに、立ち止まっ

てくれる人が1人につき、視聴率は1%とカウント。1クール続いたう

ち、平均視聴率は●%だったとか。

また、「もてたい」という男子達で結成したバンド「義理義理ボーイ

ズ」。クリスマスやバレンタインなど、季節にちなんだ曲を作って路上

で歌った。バレンタインには「ギブ・ミー・チョコレート」という曲のCD

を制作し、現金ではなくチョコで販売するというあざとい作戦で、見事

に念願のチョコをゲットしたとか、しなかったとか。


「何が成功か分からないし、金持ちが良いかどうかも分からないし。瞬

間だと思うんですよ、幸せの形って。僕は良いもん食えるとかいう生活

じゃないけど、生きてる中で良いなって思える瞬間があるんです。それ

がライブだったり、人と音楽について話す瞬間だったりするんですね。

その瞬間をいっぱい感じてゆければいいなって思いますね」

幸せについてそう語るはなのうず氏だが、現実から目を背け続けて生き

てゆくことは困難だ。年齢も20代後半に差し掛かり、決して若くないこ

とも自覚している。将来について、友人達からアドバイスを受けること

もあるという。

「完全に迷いがないかって言ったら、嘘になります」

けど、と彼は笑顔で言葉を続ける。

「迷いのない人間なんて面白くないし、そういうリアルな思いを歌にし

ていきたいですね。

僕は弱っちい歌が響くんですよ。だからこそ、そういうのを歌にして伝

えたいですね」


残りの2/3のライブを達成すべく、現在も旅の真っ最中のはなのうず氏

だが、同時に一緒に音楽ができるバンドメンバーも現在募集している。

理由は単純に「1人より大勢の方が気持ちいいから」。

かつて、自身の迷いのために終わってしまったバンド活動。だが、旅や

たくさんの出会いを通して成長できた今なら、きっとその続きができる

に違いない。


インタビューを終え、僕らは店を出た。はなのうず氏は今日もこれから

路上ライブをするのだそうだ。

彼と別れて歩き出し、僕はようやく気づいた。彼が誰に似ているのか。

その人物の名は、フォレスト・ガンプ。

フォレスト・ガンプは素直であり、泣き虫であり、行動的であり、そし

て人間愛に人一倍敏感だ。だから(だと僕は思っている)彼は走り続け

た。

そして、はなのうず氏もまた走り続けている。


最後に、はなのうず氏の代表曲の一つ「シタイ」の歌詞をここに載せ

る。

こんなにストレートで素敵なラブソングを、僕は世界で5曲と知らな

い。


「おしゃべりしたい

手を繋ぎたい

キスしたい

できればシタイ


今すぐ会いたい

色々知りたい

イチャイチャしたい

できればシタイ


腹が立つこと時々あるけど

カチンとくることたまにあるけど

スキ スキ スキ スキ


声が聞きたい

顔が見たい

裸が見たい

できればシタイ


デートがしたい

一緒に行きたい

一緒に生きたい

一緒にイキたい


直して欲しいところ いくつかあるけど

合わないところも 少しはあるけど

スキ スキ スキ スキ


例えば君が死体になっても

スキ スキ スキ スキ」



追伸

はなのうず氏は2009年末、「ニッポンで100ポンライブだポン!ツア

ー」で出会ったミュージシャン達を、47都道府県から一同に東京に招待

し、3日間に渡る大規模なライブイベントを計画しているそう。

彼1人だけの力では、とても実現不可能なイベントです。どんな形でも

結構ですので、協力してくださる方を大募集しています。僕もぜひ協力

させていただく予定です。

興味を持たれた方は、ぜひ以下のブログからはなのうず氏までご一報く

ださい。

ブログ『はなのうずの頭脳』
http://blog.livedoor.jp/hananouzu/



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2009年04月10日

【号外】【お知らせ】東京スカイ・ウォーキング

【告知です】
今回はノンフィクション・コラムではありません。。。
前回のメルマガで告知いたしましたが、
僕が脚本を書いた舞台の公演がいよいよ迫ってきましたので、
その案内をさせてくださいm(_ _)m



演劇集団(?)ムーンバーク 立ち上げ公演
『ジャンゴ 〜世界は日の出を待っている〜』

【日時】4月25日(土)・26日(日)
START 14:00/18:00

【場所】@ ひつじ座(阿佐ヶ谷)
地図はこちら↓
http://www.aries-net.jp/hitsujiza/map.htm

【チケット】
¥1500(前売/当日)

【STORY】
「お前に必ず会いに行くよ。約束する。」
1930年代のパリ −衝撃が世界に走った−伝説のギターバイオリン
三本指の天才ギタリスト、ジャンゴ・ラインハルト
心に迫るバイオリンの詩人、ステファン・グラッペリ
軽妙洒脱で奔放で、それでいてたまらなく哀切で・・・
そんな音を体が覚えている。

2008年、東京。 誰もが心を擦り切れさせながら、生きている。
諦めや虚しさを、はったりと酒とタバコと 取ってつけた軽薄さで紛らわしながら。
でも、いつの日か、出会う、そして目覚める。
前世から繋がる想いが、旋律が そして新しい絆が生まれる。

「ジャンゴにあいたい・・・。」



◇小コラム
脚本を書き終えた僕は、スケジュール管理や買出しなど、
裏方の仕事に励んでいます。
本番が約二週間後に迫り、楽しみな反面、怖さもかなりあります。
・・・が、もう引き返せないし、脚本を書き直すこともできない。
自分、役者さん、演出家さん、みんなを信じて、後は当日楽しむだけです。

また、舞台を作るって本当に大変な作業なのだなと、改めて実感しています。
こんなに大変なこと、好きじゃなきゃ絶対にできないでしょう。
けど・・・できるんですね。役者さんもスタッフさんも、みんな舞台が好きな人ばかりだから。
成功します。間違いなく。

あと、一点訂正です。
当日楽しむだけです、とさっき書きましたが、当日観客の皆様に楽しんでいただくだけです、と訂正します。
自分達だけが楽しいだけのエンターテイメントなんて、お客様からお金をいただく資格は無いですから。

ストーリーですが、小難しい話ではありません。エンターテイメントです。
気軽に楽しみ、笑い、切なくなり、そして観終わった後は、大事なあの人に会いたくなっている、そんな物語です。
多くの方のご来場を、心よりお待ちしております。


posted by Kazuyuki.K at 07:03| Comment(0) | TrackBack(0) | その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年03月31日

吉祥寺の暴れん坊

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吉祥寺のライブハウスに僕はいた。

前のバンドが演奏を終え、照明の落ちたステージでは転換が行われている。

BGMが流れる中、先程までヒートアップしていたライブハウス内の熱気は

いつしか冷め、観客達は雑談をしたり、タバコを吸ったり、カウンターで

ドリンクを注文したりなど、緩やかな時間に浸っていた。

ライブハウスから出てゆく客達もいたが、僕は逆にステージの近くに

歩み寄った。目当てのミュージシャンの出番が、いよいよ次だからだ。

ただ、目当てと言っても、知人に誘われて初めて見るので、予備知識は皆無だ。

率直に言ってしまえば、品定め的な意味での偏屈な期待感を感じていた。

やがてBGMが途切れ、すっと客席の照明が落ちた。ライブがスタートする合図だ。

まばゆい照明がステージを照らし、中央に立つその人物を映し出す・・・

次の瞬間、僕を含め、観客達は一様に目を見張った。

なぜか女子高生のコスプレで登場したミュージシャン、ヌーダ・ピッシャーズ

(年齢不詳)は、髪を振り乱して客席に身を乗り出し、異様なほどの

ハイテンションでシャウトした。

「エリコ〜!!!!!」


■ヌーダ・ピッシャーズ

年齢、性別、出身地等すべて不明。

主に都内のライブハウスや吉祥寺の路上で弾き語りを行っており、

そのパフォーマンスは学校帰りの学生や飲み会帰りのサラリーマン

外国人の観光客達から写真を撮られるほど個性的。

6月には某テレビ番組で、「吉祥寺の暴れん坊」というキャッチフレーズと

共に紹介された。


以上はWEBで紹介されているヌーダ・ピッシャーズのプロフィールである

(ちなみに名前は複数形だが、活動は基本的にソロだ)。

今、僕は都内の居酒屋で、彼と(性別不詳とのことだが、僕の目には男性に

映ったので、こう表記させていただく)向かい合っている。

「アボガド食わないんすか?美味いっすよ!しょうゆとワサビ付けて食うんすよ。

いや、そんな嫌だったらいいですよ!無理やり食わなくてもいいですよ!」

ヌーダ氏は、何故かやたらアボガドの刺身を推す。店内はほぼ満席だ。

あちこちに一日の職務から解放された客達の笑顔が溢れ、その会話や笑い声が、

店員の威勢のいい声と重なって響き渡る。


僕はこの原稿を書いている現在までに、ライブハウスで二度、路上で一度、

彼のライブを観た。動画投稿サイトで公開されている路上ライブの映像も、

繰り返し観た。

まるで狂ったようにステージを駆け回り、飛び跳ね、髪を振り乱して足を上げ、

汗を飛ばしてシャウトするその姿。

「エリコはやわらかメシが好き」「AV女優に花束を」など、

コミックとしか思えないようなタイトルの曲達。

冒頭で書いた女子高生のコスプレを始め、ライブ中に客席になだれ込んだり、

客をステージに上げてコーラスをさせたり、演奏中に他のミュージシャンに

熱い接吻をしたりなど、ともすれば客が引いてしまいそうなパフォーマンスの数々。

どのライブ(あるいは映像)を観たときでも、一度観たら忘れられないような、

それどころか夢にまで現れそうな、強烈な印象が残っている。

恐らく僕だけでなく、他の客も同様だろう(突然コーラスをさせられた

客の女の子など特に)。

して、それこそがヌーダ氏の目論見であり、身上であり、生きる道であるのだ。


「根本的に、ライブやりますってなったときに、ただ歌うっていうのは嫌で」

とヌーダ氏は語る。

「ほとんどの人(ミュージシャン)は、歌うってことで自分を表現し

いるんだと思うんですよ。ただ僕はそうじゃなくて、違う形で表現したいんですよ。

歌ってる人達と同じところに立とうと思わないわけですよ。

歌って聴かせるっていうのは上手い人に任しとけばいいし、

そこにいる人たちと楽しみたいなっていうのがすげーあるし」

音楽のことを話しだすと、ヌーダ氏の口調は次第に熱く、

またフランクになってゆく。

「例えばライブハウスで、オレのことを嫌いだ、こいつの声は無理だとか

なったときに、三十分、四十分嫌な時間をお客さんは過ごさないと

いけないんですよ。そうなったときに、そのスタンスのままだったら、

それだけしかないんだよ。俺の感覚だとそこで終わっちゃうんだよ。

こいつの歌嫌い、けどキャラがギリギリありですってなったら、

マイナスかプラスか、プラスで終われる可能性が出てくるわけじゃん!」

ヌーダ氏は熱くまくしたてると、アボガドを頬張って中ジョッキを傾けた。


現在。そこに存在する姿は、過去の自分によって形成された現在進行形の

結果であり、それ以上でもそれ以下でもない。つまり、ヌーダ氏が現在の

音楽スタイルを手に入れたのも、ある日突然枕元に音楽の神ミューズが現れ、

啓示を与えたわけでは決してないのだ。


「高校生・・・くらいのときかな」

音楽を始めた時期を尋ねると、ヌーダ氏はそう答えた。

「ジュンスカのギタリストのモリジュンタが持ってるレスポールもどきを

買ったんです。七万くらいの。それで当時は、ジュンスカとかユニコーンとか

ブルーハーツとか、俺達の世代で流行ったバンドのコピーをやってて」

ヌーダ!分かるよ、俺もそうだったよ!!と思わず口にしたくなる同胞は

多いのではないだろうか?

何をするにも一緒の悪友達、持て余した放課後の時間、発散を求める

若いエネルギー、ギターを弾ける奴への憧れと嫉妬、自分もそうなりたいと

いう思い、小遣いを貯めて買った楽器、モテたいという下心だけでガムシャラに

練習した日々、愛しのあの子に重ねて歌ったラブソング、そしていつしか本気で

音楽を好きになっていた気持ち・・・バンドと言えば、そんな幾つものピースで

形成された普遍的な青春のシーンだが、その始まりがつまづきがちなのも、

また普遍的でほろ苦い。

「最初にやったライブが、児童館の子供達に聞かせるみたいな感じで、

オレは一生懸命歌ったんだけど、子供に耳ふさがれたんです。それで歌うのを

やめて、コピーバンドやってたのも自然消滅することになって・・・」


だが、一時的にへこたれはしても、その程度で音楽を辞めるような

ヌーダ氏ではなかった。高校を卒業して社会人となったヌーダ氏は、

ギターを練習し、曲を作り、歌を歌い、ソロとして活動を再開する。

活動・・・と一口に描くと、ひどく漠然とした意味合いしか持たなくなって

しまうが、ヌーダ氏が主戦場として選んだのは、どんなライブハウスよりも広く、

どんな音楽ホールよりも客数が多く、どんな特設スタジオよりも自由なステージ、

「路上」だった。

「色々あるけど、やっぱ面白いよ、路上は。オレの持論じゃないですけど、

路上はライブハウスより成長できる場所だと思ってるんですよ。

路上にいる人達と一緒に盛り上がるっていうのは結構難しいことで、

それが面白いことであるし、だからそこでやってる人間は強いなって思って。

変な話、全く知らない人が良かったって話しかけてくるのは、ライブハウスに

観に来た知り合いに言われるより嬉しいっすよね」

プロフィールの中にもあるが、路上で引き語りをするヌーダ氏の様子は、

音楽番組の「今週の路上」というコーナーで取り上げられたこともある。

夜の11時頃、いつもの路上で歌っていると、テレビ局の取材クルーが

突然声をかけてきたのだという。

「一曲歌って、どういう風に取り上げられるのかなって思ってたら、

ほとんどお笑いのミュージシャンみたいな扱いになってて(笑)。

けどそんなのでも、テレビ見て良かったってメッセージくれる人がいて。

是非観に行きたいって言ってくれたりして。嬉しいっすよね」


だが、あるときヌーダ氏は、再び挫折することとなる。前回の挫折が

子供に耳をふさがれた「外的要因」であるとすれば、今回の挫折は

それより遥かに厄介な「内的要因」であった。

「自分が作ってる歌詞のしょぼさに自分でも身を引いちゃって、

できなくなっちゃったんです。路上っていう人に対して表現するところで、

仲間がそれなりの世界を持ってやってるのに、オレはねえなって。

客観的に聴いたときに、これはねえなって感じられたんです。

それで止めちゃったんですよ」

挫折を経験したことのない人間は、恐らく皆無だろう。

苦悩の中、努力で光明を見出す人もいれば、誰かの助言で光明を見出す人もいる。

光明を見出せないまま、ドロップアウトしてしまう人もいる。


ヌーダ氏の傷は深かった。「音楽」という言葉の持つ、

「音」を「楽しむ」という原点の意味は、もはや何処にも見当たらなかった。

彼もまた、本気で音楽活動からドロップアウトしようかと考えていた。


そんな中、思ってもみなかった出会いがヌーダ氏を救うこととなる。

そのきっかけとなったのは、「ねずみ講」だった。


「加入者がねずみ算式に会員を増やすことにより、加入金額以上の金銭を得る

一種の金融組織(大辞泉より抜粋)」


友人からねずみ講運営への参加を誘われたヌーダ氏は、

胡散臭さを感じながらも、同時に面白さを感じ、興味本位で始めてみた。

どのようなことを行うのかというと、友人や知人に片っ端から声をかけ、

言葉巧みに商品を勧めるわけだが、当然そう簡単に契約をしてくれる人はいない。

ここでも諦めかけていたヌーダ氏に、ねずみ講を運営する会社の幹部の話が、

あるヒントを与えた。

「ねずみ講の話をして断られたとする。そんなの当たり前だよ、と

その人は言うんです。イチロー選手いますよね。彼は200本連続安打を

達成する中で、何回三振してるかご存知ですか?って」

何が言いたいか分かりますか?とヌーダ氏は言う。

「要は失敗してもいいんだよ、ってことですよね。それ聞いて、

人をやる気にさせるっていうか、面白いなって思って。

それを自分の周りで起きてる出来事で探し出したんですよ。

それが、自分が歌ってる世界観なんです」

結局は、きっかけなんて何でもよいのかもしれない。

それを届けてくれる媒体が何であるかなども同様だ

(例えばその幹部が、パンチパーマに金のネックレス、色つきメガネと

いうルックスであったとしても)。

迷走を続けていたヌーダ氏の音楽スタイルに、道しるべが下りた瞬間だった。


あるときはコンビを結成するも(ヌーダ・ピッシャーズと複数形の理由は

ここにあった)、初ライブを終えた直後に解散を切り出される。

またあるときは、知り合ったミュージシャンと意気投合し、

コンビ結成の約束をするも、その後連絡をしても電話に出る気配なし。

駅前で引き語りをしているとき、いきなり通行人にひっぱたかれたこともある。

それでも彼は歌い続ける。


多くのミュージシャンが目標にする、メジャーデビューについて聞いてみた。

「メジャーデビューは全然意識してないです。人それぞれだと思うんすけど、

そこがゴールじゃないから。音楽って言うのはオレにとって一番

表現しやすいものだから。それに賛同というか、何かを感じ取ってもらえれば。

一人でもお金払って来てくれる人がいて、それがもっと大きなものになってもらえば」

ヌーダ氏の口調が、再び熱くなってゆく。

「メジャーデビューしてもいいんだ。しなくてもいいんだ。

ただ、その場になったときにやりくりできる自分でありたいんですよ。

分かります?変わらない器っていうか、そういうのを求めてるんです」

ヌーダ氏はそこまで話すと、店員を呼び、二人分のビールを注文した。

恐縮する僕に、彼は笑顔で手を振る。深夜が近づいても、居酒屋はまだ

混雑している。ヌーダ氏の笑顔も、他の客達と同じように生き生きとしている。



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2009年01月24日

役所→役所

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今から約二十五年前。東京工業大学のキャンパス内。
一人の学生が、演劇部の部室の前に佇んでいた。
うろうろしてみたり、中を覗いてみたり、ドアに手をかけようとしてみたり。
しかし結局、彼は部室の中に入ることなく、その場から去っていった。

「落ち込んでたんですよ、当時は」
黒縁メガメに背広姿の西村裕之(44歳)は、当時を振り返ってそう語る。
小さな声で話すので、僕はやや身を乗り出して耳に神経を集中させなくてはならない。
場所は、取材のときによく使う、新宿の喫茶店である。
アパートの部屋に引きこもって、毎日昼くらいに起きてドラマの再放送見て。それかマージャンばっかりやってました」
今でいう引きこもりのような暮らしである。

当時、大学生の間ではテニスとスキーが空前のブーム。
両スポーツのサークルがあちこちにあり、男子学生達はサークル活動を名目に、女子を引っ掛けるのに夢中になっていた。
ちなみに西村が通っていた「東京工業大学」は、多くの学生が羨望の眼差しを向け、名前を出せばもてること間違いなしの、名門の国立大学である。
青春を謳歌するのにこれ以上ない環境の中、西村はなぜ鬱屈とした日々を送っていたのだろうか。

「工学部って細かいんですよ。例えば、機械と電気じゃ全然違うんですね。僕は本当は経営工学を学びたかったんですけど・・・」
しかし念願叶わず、彼が進んだのは化学工学科。
「合格発表で名前があったのにがっかりして・・・そこから消極的になりましたね」
当時、化学工学科と言えば、卒業後には大学院に進み、
将来はエンジニアになるという進路が当たり前の時代だった。
それを拒んだ学生は、教師から冷たく見放されてしまうことも多かったのだという。
エンジニアになりたい訳ではないのに、将来を決定されてしまうやるせなさ。
ただでさえネガティブな西村は、目標を見失って堕落した日々を送るようになっていったのだった。

西村のネガティブさの原点は、中学・高校時代のスポーツ経験にある。
なで肩でひょろりとした体形の西村は、一見スポーツとは無縁のように見えるのだが、実際は体育会系の世界にどっぷり漬かった青春時代を過ごしてきたのだという。
だが、本当にスポーツマンだったのかというと・・・
「中学のとき柔道をやってたんです。五、六人しかいない小さな部活でしたけど、僕はその中でも一番弱いんですね。試合では相手に向かってかなきゃいけないのに、脅えて下がってって、組んだ瞬間に投げられたり。後輩にも軽く投げられたりして、全然楽しくなかったですよ」
僕の頭の中に、柔道着を着た西村が投げ飛ばされているイメージが浮かぶ。失礼ながら、やっぱりという印象だ。
「高校のときはラグビー部だったんですけど、ギリギリの人数だったんです。辞めると試合ができなくなるから、辞められないんです。練習サボって逃げようとすると、先輩が走って追っかけきて、ふざけんなって連れ戻されたり。完全に体育会系でしたよ。ラグビー部に入って以降、ちょっときついなーと思うと何に対しても逃げるクセがついちゃいましたね。よくないですよね。全て逃げの姿勢ですよ」

話は再び大学時代に戻る。
引きこもりのような日々を送っていた西村だが、さすがに両親の仕送りだけに頼るのも申し訳なく思い、家庭教師のバイトで生計を立てることを考える。
しかし、ネガティブキャラの西村だけに、なかなかうまくはゆかない。
「家庭教師は楽で儲かるのでしてたんですけど、やっぱり親は子供を受験に合格させようとするじゃないですか。けど僕は生徒に言っちゃうんです。意味無いよって。
良い大学行っても良いとこ就職できるって決まったわけじゃないしって。そうしたら、生徒が後で親に言いつけるんですよ。
先生がこんなこと言ってたよって。それで怒られたり」
西村が起こした事件はそれだけではない。
「生徒の高校生の男の子が、エロビデオのダビングを友達に頼まれてたんですよ。それを一緒になって見てたら、突然親が入ってきて慌てて消したりして」

何とか大学を卒業した西村だが、当時の鬱屈とした日々の記憶は、未だに彼の脳裏に刻み込まれている。
実は、単位が足りずに卒業できないという夢を見て、うなされることが今でもあるのだそうだ。
「確か卒業したはずなのにって目を覚まして、あ、違ったって」
そんな西村の話を聞きながら、僕は彼の姿を、ある名優の姿に重ねずにはいられなかった。
市役所で働く無気力な中年男が主人公の名作映画、「生きる」。
その主演俳優、志村喬だ。

神奈川県在住の西村は、地元の市役所で働く公務員である。
家族は妻と三人の子供がいる。一見ごく普通の、幸せで平凡なマイホームパパのように見える西村だが、彼は週に一度、仕事後にまっすぐ家に帰らず、新宿行きの電車に乗る。
所属している劇団の定例稽古に参加するためだ。

44歳の彼は、劇団の中で最年長。劇団員の中には、自分の子供ほど年の離れたメンバーもたくさんいる。
プロデューサーや演出家も、西村より年下だ。
「今でも戸惑うんですよ。プロデューサーや演出より年上だから、使いにくくないかなー、どうなのかなあって」
そんな中、彼は必死に稽古をする。
失敗をすると罰ゲームをしなくてはいけない、というゲーム形式の稽古で、西村はしばしば真っ先に失敗をし、罰ゲームの筋トレをして筋肉痛に襲われる羽目になる。
しかし、いつも辞めたいと思っていた柔道やラグビーと違い、西村は演劇を辞めたいと思わない。それどころか、プロの役者として生活してゆきたいという野望すら抱いているのだ。
そもそも、大学時代に演劇部の扉を開けなかった西村が、どういうきっかけで今になって演劇を始めたのだろうか。

「市の広報があるじゃないですか。それに演劇体験ワークショップなんてものがあって、それに妻がマルを付けて、出てみればって」
大学時代、スサノオが閉じこもっていた天岩戸のように、堅く閉ざされていた西村の心。しかし、さながらコンビニの自動ドアをくぐるように、二十五年間の歳月を超えて、演劇部の扉はいともあっさりと開かれたのだった。

「ワークショップは基礎練習ばかりだったんですけど、僕は経験が
無かったので新鮮な感じでした。演目はシェイクスピアだったんですけど、最後の発表会で長いセリフがあったんですよ。発表って言っても、
仲間内だけの大したことない場だったんですけど、うわー、セリフ覚えなきゃみたいな。発表では一番初めに出る役だったんですけど、久々にドキドキしましたね」
そしてワークショップを終えた後、西村は思う。
もう十分だ。これで心置きなく演劇を辞めよう。
山口百恵のように、再び普通の公務員に戻りかけた西村だったが、舞台で芝居をする快感がどうしても忘れられず、偶然インターネットで見つけた劇団のオーディションに応募する。
「ちゃんとしたオーディション受けたの初めてだったんですよ。どうせ受からないと思ってたし」
ところが、約十倍もの競争率を勝ち抜き、西村は見事に合格。
晴れて劇団の一員となったのだった。

ちなみに劇団が団員募集の際に打ち出したコンセプトは、「芝居で食っていきたいという情熱のある方!」である。
当然、応募してきた面々は、我こそが唯一無二の有資格者だと自負する
つわものばかり。そんなメンバー達に混じって劇団を続けていいのか、
迷う時期もあった。
「バイトしながら役者を目指してる人がいるじゃないですか。そういう人からどう見られてるんだろうと思って。僕は役所に勤めてちゃんと生活してるじゃないですか。
真剣に役者になるって思ってる人から見ると、むかつくかもしれないですね」
西村には守るべき家族があり、守るべき生活がある。住宅ローン
残っているし、子供達の養育費も必要だ。西村は最も賢明な道のりで演劇を続けているだけなのだが、周囲にはそんな姿勢を快く思わない人間がいるのも、また事実らしかった。

大学時代の西村だったら、周囲の重圧に押されて内にこもり、挙句の果てに逃げ出すようにして演劇を辞めていたかもしれない。
しかし、今は違う。西村は演劇を続けることを決意し、自分で道を切り開いた。
「オリンピックの選手が、何回も辞めたいことがあるってインタビューで言ってたんですよ。ああいう人たちって練習もすごくして、ストイックに自分を追い込むのが好きかなって思ってたんですけど、むしろああいうすごい人ほど辞めたいって思って当然なんだなって思って。
だったら僕ごときが辞めたいって思うのも当然なんだなって、逆に気楽に演劇を続けてもいいかなって。生活のための公務員はやってますけど、役者で食ってけるようになったら辞めればいいんだし。役所でもそう宣言してるんですよ」

西村の夢を聞いてみた。
「高校の同級生は、大きな会社のそこそこの地位になってる人が多いんですよね。同窓会なんかあると、遅れてきて、海外からさっき成田に着いてまっすぐ来たよという奴とか。そういう人に混じって、僕は地元の市役所で働いてますって。年収もみんな、公務員の二倍、三倍なんですよ。
けど、例えばそういう席で、役者で食べてくことにしたんだって言ってみたいんですよね。実は、そういうところで自慢できるのが一番いいんですよ。テレビに出てるの見たよ!って言われたりして、そんな大したことじゃないよって答えたりして。まあ、妄想ですけどね」

ちなみに、奥さんやお子さんは、西村がプロの役者を目指すことを応援してくれているのだろうか?
「妻は、やってもいいけど、収入ががっくり減るようなら困りますよって言いますね。住宅ローンも抱えてますし、子供の教育費も大変ですから。
上の高校二年生の子も、そんなの止めてって。学校を退学しなきゃ
いけない状況になるのはまずいからって。だからあまりおおっぴらには
言えないですけど、野望としてありますね」
さすがは大人、シビアである。ちなみに小学生の次女は、無邪気なようでもっと残酷だ。
「こないだ夢を見たって言うんですよ。お父さんが役者になって、
映画館のスクリーンに思い切りでかく写ってたと。けど次の日見た夢は、お父さんがクビになってた夢だって」
西村は苦笑しながら続ける。
「宙返りとかするんですよ、うちの劇団の若い子とかは。僕はそんな身軽なことも全然できないですしね。でも、どんくさい役もあるじゃないですか。そういう役をやらせていただいたりしてね、演劇を続けていきたいですね」

ところで、いつかのブログで、西村は護身用に十手を持ち歩いていると
書いていた。ナイフだと銃刀法違反に引っかかりそうだが、十手なら堂々と護身用ですと言えるからだそうだ。
「だって、何があるか分からないし。こういう場所(新宿)なんか一番危ないじゃないですか」
見せてもらっていいですか?とお願いすると、西村は得意げに鞄の中から十手を取り出した。
「僕はもし脅されている人がいたら、これをもって行きますよ。警察を呼ぶのも大事ですけど、おまわりさんはすぐ来られないでしょ?
目の前で人が刺されているのを私は見てられません」
十手を握り締めたまま、勇猛な表情で西村は語る。
いつの間にか、被害者がナイフで襲われているというシチュエーションが、西村の頭の中には出来上がっているようだ。
「けど、そういう場面には遭わないことが一番ですよね」
僕が言うと、西村は途端に相好を崩して言った。
「いやー、けど一度そういう場面に遭ってみたい気はしますね。うろついちゃおうかな、俺」
西村の妄想は膨らんでゆく。
「たまたま事件現場に居合わせた某市役所職員。インタビューで、
実は私、役者を目指してまして、岡っ引きの役で使ってもらえませんか?なんて言ったりして・・・ウヒヒ」

インタビューを終え、僕がノートやICレコーダーをしまっていると、
西村が申し訳なさそうな眼差しで、僕のことをじっと見つめていた。
「?」
不思議そうな顔をする僕に向かって、西村は言った。
「僕なんて全然面白い記事にならないと思いますから、それが申し訳なくて気になってしまって・・・今回、つまらなかったら本当に書かなくていいですよ。無理しないで下さい」
思えば、この日何度目かの同じセリフだった。

大丈夫。あなたはとっても面白いですよ、西村さん!



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posted by Kazuyuki.K at 23:39| Comment(2) | TrackBack(0) | コラム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年01月03日

ゅりんころぢぃ。

kotani2.jpg

ハローページで、「も」の職業欄を開いてみる。モータースポーツ、モーテル、木材販売、模型店、モデル紹介所、もんじゃ屋店etc・・・。
様々な職業がずらりと並んでいるが、その中に今回僕が取材させていただいた小谷有里。(25歳・ちなみに句読点も含めて名前である)の職業は載っていない。

「桃系萌えロックぁいどる。です」。
職業を尋ねた僕に、小谷有里。はそう答えた。
「前は、天然系ポジティブ妄想ぁいどる。だったんですけど」
と、彼女は言葉を続ける。
ファッションこそ、黒のタンクトップにドクロの指輪とロックテイストだが、実年齢よりだいぶ幼く見えるルックスと、鼻にかかったやや舌足らずな喋り方は、確かに男性の萌え心をくすぐる要素を十分に備えている。

そもそも、僕が小谷有里。に取材の依頼をしたのは、彼女が秋葉原のメイド喫茶の元店員という経歴を持っていたからだ。
メイド喫茶で働く女性の人物像に触れてみたい。そんな単純な好奇心で、僕は彼女に取材の依頼をし、承諾を得た。そしていつものように、取材の事前準備として、僕は小谷有里。が2005年から約三年間、ほぼ毎日更新を続けてきたブログの記事全てに目を通した。

『★★★ゅりんころぢぃ。ゎぁるど(’▽’p)★★★』というタイトルで、「桃系萌えロックぁぃどる、ゅりんころぢぃ。が毎日更新ちぅのブログらぉ(’V’)♪」という紹介文から始まるブログには、氾濫した絵文字や顔文字、崩し文字や記号などで彩られた小谷有里。の日常が、「アキバ」「萌え」「2ちゃんねる」といった世界観を演出しながら、ほぼ毎日の更新で綴られていた(過去に、僕がゴーストライターで女子大生になりきったとき、意識して絵文字や顔文字を多用して文章を書いたが、とても比較にならない)。
ブログを読みながら、僕の先入観は確信へ変わる。
小谷有里。=萌え系。それも、純度100パーセントの。
僕は確信を持って彼女のことをそう定義づけ、そして取材に臨んだ・・・はずだった。

が、僕は目の前の小谷有里。の話を聞きながら、ある違和感を感じていた。
表情。視線。言葉遣い。口調。抑揚。
その全てが、ブログの中の「ゅりんころぢぃ。」と同一人物には思えないほど、とても控えめで礼儀正しいのだ。

「元々メイドをやるとは思ってなかったんです」
と小谷有里。は言う。
「友達とバイトを探してたら、バイト募集してる喫茶店があるよって知り合いに連れてかれて、社長と面接をしたんですけど、そのときはメイド喫茶って知らなくて・・・週何回入れますとか、普通の面接をしたんです。そしたら、二次オーディションをするからって、まだ出来上がってないお店に集合させられて、喫茶店にしてはちょっと違うって思ったんですけど、まさかメイド喫茶だとは思わなくて・・・」
当時を思い出したのか、苦笑しながら小谷有里。は言葉を続ける。
「友達とどうしようかって言ってたんですけど、まあネタになるしやってみようかって・・・そしたら結局、閉店までの二年間辞めさせてもらえなかったんです」
彼女が自分の天職として、メイド喫茶で働き始めたものだと思い込んでいた僕は、少なからず驚きを覚えた。だとしたら・・・
「メイド喫茶で働くことに抵抗は無かったんですか?」
僕の質問に、小谷有里。は静かな口調で答えた。
「メイド服を着ることに抵抗は無かったですけど、可愛い声でしゃべることに抵抗がありました。もともと、そんなキャラじゃないので」

もともと、そんなキャラじゃない。
もしもメイド喫茶で働く全てのメイドに統計を取ったとしたら、小谷有里。のように、何かの縁でメイド服を着る機会に出会い、自分の本質とは違うと分かりつつも、気恥ずかしさを覚えながら可愛い声と台詞で接客をしている女性が、少なからずいるのかもしれない。
自らのことを「ゅりんころぢぃ。」と名乗り、ファンの萌え心を刺激し続けている彼女でさえも、そうであったのだから。

小谷有里。は、高校卒業後に看護学校に入学した。順調に進めば、三年間で正看護師の資格が取得できる。だが、彼女は卒業まであと一年というところで、学校を去る決意をする。
「元々やりたくて入ったんじゃないんです。推薦で受かって入ったんですけど、やっぱり途中で違うなって。人のお世話をするのが好きだし、病院で働いていて楽しかったし、他にやりたいことがあったわけじゃないんですけど・・・何か違うって辞めました」
「ご両親には何か言われました?」
僕の質問に小谷有里。は答える。
「特に。あまり期待されてなかったんだと思います」
その後、アルバイトをしながらフリーター生活を送る中で、小谷有里。はある転機に出会う。
「エキストラのバイトをしてたんです。そこで知り合いになったグラビアアイドルの子が、グラビアの事務所を作るので、入ってって誘われたんです」
そもそも彼女がエキストラのバイトを始めたのは、芸能人に会えるからというミーハーな動機だ。決して芸能界に興味があったわけではないのだが、そこで事務所への誘いを受けた一週間後には、小谷有里。は自らのイメージDVDの撮影に臨んでいた。
痩せる暇がなかったから、今見ると太ってるんです」
と、照れくさそうに彼女は語る。
フリーターからアイドルへ。トントン拍子、と表現するのが相応しいのかどうかは分からないが、とにかく彼女を取り巻く環境は、急速に変わっていった。

DVD発売を皮切りに、小谷有里。はグラビアユニットを組んだり、お笑いに挑戦したり、月に二十本以上のライブをこなしたり、MCやネットテレビの仕事もこなしたりという、忙しい日々を送るようになった。
実はメイド喫茶で働き始めたのは、芸能活動を始めたのとほぼ同時期だったのだが、籍だけ置いたままなかなか出勤できないという多忙ぶりだ。

芸能活動は、看護学生時代には見つからなかったやりたいことだったのだろうか?
「最初は全然でした。DVDを出せて、一生の記念に残るものができたし、満足して辞めようかなと思ったんですけど、辞めたところで他にやりたいことも無いし、もうちょっとやろうかなみたいな感じでやってたんですけど・・・やっぱり何をやりたいのかって考えたとき、一番やりたいのは歌でした」
ユニットの解散や、事務所からの離脱、また度重なる病気やケガなど、小谷有里。の芸能活動は必ずしも順風満帆ではなかった。
そんな中、小谷有里。が見つけた「一番やりたいこと」は、桃系萌えロックぁいどる。という肩書きと共に、形になって動き始めた。
「ロック系ならいっぱいいるけど、萌えロック系はあまりいないので」
現在、アキバを中心に、ライブなどの活動をしている小谷有里。だが、彼女は一時期、ホームグラウンドであるアキバをあえて離れ、新天地での活動を積極的に行っていた。
「アキバの人達って優しいから、ライブでいつもノって盛り上げてくれるんですけど、アキバだけに慣れてしまったら、きっと他で通用しなくなる。だから、一時期アキバを離れて、アウェーな場所でやってたんです」
そして彼女は再びアキバに帰ってきた。
活動を応援してくれるミュージシャン達とも出会うことができ、萌えロックぁいどる。のスケジュールは、再び多忙になりつつあるようだ。

ところで、小谷は現在、劇団「元氣エンターテインメントシアター」に所属し、役者としても活動を行っている。
「今年の三月に、前にいたエキストラの事務所に誘われて初めて舞台をやって、お芝居楽しいな、次も舞台をやりたいなって思ってたときに、GETを見つけたんです。軽いノリで応募したら最後まで残ってしまって、逆にビックリしたんです」

劇団のホームページを覗いてみると、彼女のプロフィールの座右の銘には、こんな言葉が書かれている。
「無敵。」
細かいところを追求するのが好きな僕は、座右の銘にその言葉を選んだ理由を尋ねた。
そんなところを突っ込まれるとは思ってもいなかったのか、小谷有里。は困ったように答えた。
「何で好きなのか分からないですけど・・・無敵とか不死身みたいな、そういう強い言葉に憧れるんです。何年か前に手相見てもらったら、寿命が短かいって言われたのもあるし、いつもどこかしらケガしてるので、強い人になりたいなって」
無敵。
そんな究極を表す言葉の前では、彼女の本質が萌え系か否かなど、どうでもよく感じてしまう。名前にどうして句読点が含まれているのかという、素朴な疑問に対しても同様だ。

先日行われた、所属劇団の旗揚げ公演。
桃系萌えロックぁいどる。は、舞台の上でどう輝いたのだろうか。
そして、どんな風に輝き続けるのだろうか。



小谷有里。さんのHPはこちらです
   ↓
http://yurincorin.com/



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posted by Kazuyuki.K at 19:40| Comment(1) | TrackBack(1) | コラム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする