誰かに似ている。そう思いながら、僕は『はなのうず』こと山下卓男
(ミュージシャン/27歳)のブログを読んでいた。
開設以来約4年間、彼はほぼ毎日ブログを書き続けている。しかも1つ1
つの記事が長文のため、僕はブログを読破するのに5日間もの時間を費
やした。量だけで言えば「罪と罰」に匹敵する大長編だが、不思議と読
みながら疲労感を覚えることはなかった。
そもそも、彼のブログに書かれているのは情報ではなく、また記録でも
ない。メッセージ、という表現が近いかもしれないが、そのひと言だけ
では不十分に思える。
例えるなら、コップから水が溢れるように、山下卓男という器に納まり
きれず、溢れ出た思いが文章になったもの。そういった感じだ。
都内の居酒屋で、はなのうず氏(『はなのうず』は元々ユニット。現在
は訳あって山下卓男1人だが、活動は『はなのうず』として行っている
ため、この記事内でも以下その呼称)にインタビューを行った。愛知県
出身、19歳の頃に上京してきたという彼は、関西のイントネーションが
残るも、丁寧な口調で質問に応じてくれた。
日本全国を旅しながら、1年間に47都道府県で100本のライブを行う。は
なのうず氏が現在取り組んでいる活動がそれだ(ちなみにこのインタビ
ューが行われた5/7の時点で、既に約1/3のライブが終了している)。
旅の持ち物はギターと簡素な手荷物、それに自らのCDのみ。生活費は基
本的にCDの売上で捻出するという、過酷な自給自足のツアーだ。
「…すごい行動力ですね」
僕は感嘆してそう告げる。
「よく言われるんですけどね、好きなことをするのは自然なことだと思
ってますね。だから、自分が特別だとは思ってないですね」
レコード会社に所属しているわけではなく、メジャーデビューしている
わけでもないはなのうず氏には、もちろんマネージャーもプロデューサ
ーもいない。ライブハウスへのブッキングもCDの販売も宿探しも、何か
ら何まで全て自分で行うのだ。
この日本全国弾き語りの旅は、今から6年前に初めて決行されて以来、
毎年の恒例となっている。
はなのうず氏が音楽を始めたのは、高校3年生の頃。路上でオリジナル
曲を歌っていた友人に触発され、自分もオリジナル曲を作りたいと、ア
コースティック・ギターを母親に買ってもらったのが始まりだった。
念願のオリジナル曲を作り、路上デビューを果たして満足していた彼だ
ったが、ある夜「ザ・ブルーハーツ」のライブビデオを見て衝撃が走っ
た。
ヒロトが、マーシーが、河ちゃんが、梶君が、ステージの上でロックン
ロールを奏で、数万人の観客の心を動かしている。その光景に鳥肌が立
ち、心臓はたちまち早鐘を打ち始めた。
「見てたんですけどね、それまでもそのビデオを。CDも聴いてたんです
けど、何かその夜は感じるものがあって」
何かが変わりそうな予感がして、その夜はほとんど眠ることができなか
った。翌日の朝一番、はなのうず氏は友人に電話をしてこう告げた。
「バンドしようや」。
そして、彼がリーダー兼ボーカルを務めるバンドは始動する。1年間猛
練習した後、念願の初ライブ。曲は、はなのうず氏が書き溜めたオリジ
ナル曲を中心に選曲した。
ライブが終わって数時間が経っても、メンバー達の興奮は一向に冷めや
らなかった。1人硬い表情のままだったはなのうず氏以外は。
メンバーの部屋でライブビデオを見ながら皆で騒いでいる最中、彼は不
意にこう告げた。
「オレ、バンド抜けるわ」
一瞬にして場の空気は凍りついた。冗談だろ?とメンバーの1人が笑い
ながら言う。だが、はなのうず氏の表情を見て、メンバー達はそれが冗
談でないことを悟った。
必死の説得が続いたが、はなのうず氏は決断を変えなかった。話し合い
の最中、ドラマーはひと言も喋らずに涙を流していた。
そして、バンドは解散。そこには、何事も抱え込んでしまう性質だった
はなのうず氏なりの苦悩があった。
「集団の中で、言いたいことも言えなかったり、遠慮というか、抑えて
しまっている自分がいたんです。バンドってこんな関係じゃいけない。
そう思って、一旦離れることを決めたんです」
失意の中、はなのうず氏は何かに導かれるかのように、ギターを持って
旅に出た。
少々溜まっていた貯金を財布に詰め込み、クビを覚悟でバイト先に長期
休暇を申請し、移動手段には原チャリを選んだ。目的は「弾き語りをし
ながら本州を一周すること」。
出発早々に原チャリが壊れるというアクシデントに見舞われるも、彼は
電車に乗り代えて旅を続けた。ここで戻ったら何も変わらないと思っ
た。引き返すつもりはさらさらなかった。
旅の思い出は、とてもひと言では語りきれない。
怪しげな宗教の勧誘に迫られたこともある。
宿が見つからず、野宿をしたこともある。
ゲイに襲われ、貞操を奪われそうになったこともある。
音楽評論家を名乗る人物に歌詞を酷評され、悔し涙を流したこともあ
る。
それでも、はなのうず氏はへこたれなかった。
路上ライブをする彼の前で足を止めてくれた人。曲に聴き入ってくれた
人。良かったですと言い、CDを購入してくれた人。投げ銭をしてくれた
人。差し入れをしてくれた人。食事をご馳走してくれた人。自宅に泊め
てくれた人。そして、友達になってくれた人。
はなのうず氏は路上で歌い、ライブハウスで歌い、そしてまた次の歌う
場所を目指して旅を続けた。行く先々でのたくさんの出会いと人の優し
さが、孤独な旅を続ける彼を支え続けた。
極度の人見知りの彼だが、初のヒッチハイクに挑戦もした。以前の彼か
らは考えられないことだそうだ。
数え切れないほどの出会いの中で、忘れられないのが山形で出会った人
達のことだ。
夜、山形駅の前で引き語りをしていると、1人の中年男性が声をかけて
きた。
「うちの店でやらんか?」
話を聞くと、その人物はバーや居酒屋の経営者。少々の怪しさと不安を
ノリで打ち消し、はなのうず氏はその人物が経営しているというバーで
歌うことになった。
最初はブルーハーツの曲を歌っていたが、客にオリジナルをリクエスト
されて「血」という曲を歌った。
「血が流れるのはそこらじゅうじゃなくて
体の中だけでいい」
そんな歌詞が印象的な、反戦の思いを込めたメッセージソングだ。
歌い終えると、猛烈な拍手がはなのうず氏に向けられた。客席を見渡す
と、1人の客が涙を流していた。それを見た瞬間、はなのうず氏の胸
に、言葉にできないほどの感情が込み上げてきた。
「それまでは、音楽っていったらバンドだと思っていました。けどこの
ときの経験のおかげで、人に何かを伝えるのには、別にバンドじゃなく
てもいいんだなって。1人でもちゃんと伝わるんだって思いました。だ
から、この1人旅が自分の原点なんです」
音楽を始めた当時は、「プロになって音楽で飯を食ってゆく」ことこそ
が答えであり、幸せであり、ゴールであると頑なに信じていたはなのう
ず氏。
だが、旅での経験や様々な出会いが、彼の思いを少しずつ変えていっ
た。
「今は好きなことをしたい、に変わってますね。好きなことをするに
は、プロになるだけが手段じゃない。それは音楽で飯を食えればいいで
すけど、ギリギリの生活でも好きなことを続けたいですね」
そんな言葉通り、面白そうなことを思いつくと、実行に移さないと気が
済まないというはなのうず氏。
例えばあるとき、ミュージシャン仲間と「路上という場所で何かできな
いか?」と話していたときに思いついたのが、「路上番組」。
早速「O・A中」という看板を制作し、テーマ曲を作り、毎週月曜日の
夜、路上を舞台にその番組(?)はスタートした。
番組名は「ろくでなきブルース」。トークや遊びのコーナー、ゲストミ
ュージシャンを招いてのライブなど、予算はゼロながらも、はなのうず
氏達は勢いとアイデアで番組を盛り上げ続けた。ちなみに、立ち止まっ
てくれる人が1人につき、視聴率は1%とカウント。1クール続いたう
ち、平均視聴率は●%だったとか。
また、「もてたい」という男子達で結成したバンド「義理義理ボーイ
ズ」。クリスマスやバレンタインなど、季節にちなんだ曲を作って路上
で歌った。バレンタインには「ギブ・ミー・チョコレート」という曲のCD
を制作し、現金ではなくチョコで販売するというあざとい作戦で、見事
に念願のチョコをゲットしたとか、しなかったとか。
「何が成功か分からないし、金持ちが良いかどうかも分からないし。瞬
間だと思うんですよ、幸せの形って。僕は良いもん食えるとかいう生活
じゃないけど、生きてる中で良いなって思える瞬間があるんです。それ
がライブだったり、人と音楽について話す瞬間だったりするんですね。
その瞬間をいっぱい感じてゆければいいなって思いますね」
幸せについてそう語るはなのうず氏だが、現実から目を背け続けて生き
てゆくことは困難だ。年齢も20代後半に差し掛かり、決して若くないこ
とも自覚している。将来について、友人達からアドバイスを受けること
もあるという。
「完全に迷いがないかって言ったら、嘘になります」
けど、と彼は笑顔で言葉を続ける。
「迷いのない人間なんて面白くないし、そういうリアルな思いを歌にし
ていきたいですね。
僕は弱っちい歌が響くんですよ。だからこそ、そういうのを歌にして伝
えたいですね」
残りの2/3のライブを達成すべく、現在も旅の真っ最中のはなのうず氏
だが、同時に一緒に音楽ができるバンドメンバーも現在募集している。
理由は単純に「1人より大勢の方が気持ちいいから」。
かつて、自身の迷いのために終わってしまったバンド活動。だが、旅や
たくさんの出会いを通して成長できた今なら、きっとその続きができる
に違いない。
インタビューを終え、僕らは店を出た。はなのうず氏は今日もこれから
路上ライブをするのだそうだ。
彼と別れて歩き出し、僕はようやく気づいた。彼が誰に似ているのか。
その人物の名は、フォレスト・ガンプ。
フォレスト・ガンプは素直であり、泣き虫であり、行動的であり、そし
て人間愛に人一倍敏感だ。だから(だと僕は思っている)彼は走り続け
た。
そして、はなのうず氏もまた走り続けている。
最後に、はなのうず氏の代表曲の一つ「シタイ」の歌詞をここに載せ
る。
こんなにストレートで素敵なラブソングを、僕は世界で5曲と知らな
い。
「おしゃべりしたい
手を繋ぎたい
キスしたい
できればシタイ
今すぐ会いたい
色々知りたい
イチャイチャしたい
できればシタイ
腹が立つこと時々あるけど
カチンとくることたまにあるけど
スキ スキ スキ スキ
声が聞きたい
顔が見たい
裸が見たい
できればシタイ
デートがしたい
一緒に行きたい
一緒に生きたい
一緒にイキたい
直して欲しいところ いくつかあるけど
合わないところも 少しはあるけど
スキ スキ スキ スキ
例えば君が死体になっても
スキ スキ スキ スキ」
追伸
はなのうず氏は2009年末、「ニッポンで100ポンライブだポン!ツア
ー」で出会ったミュージシャン達を、47都道府県から一同に東京に招待
し、3日間に渡る大規模なライブイベントを計画しているそう。
彼1人だけの力では、とても実現不可能なイベントです。どんな形でも
結構ですので、協力してくださる方を大募集しています。僕もぜひ協力
させていただく予定です。
興味を持たれた方は、ぜひ以下のブログからはなのうず氏までご一報く
ださい。
ブログ『はなのうずの頭脳』
http://blog.livedoor.jp/hananouzu/
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ここでしか見られない取材後記など載せています。
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