2009年11月04日

ペンキ絵師見習い

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1〉

平成21年4月某日、1人の男性が72年の生涯を閉じた。

彼の名は早川利光、職業はペンキ絵師。

銭湯に行ったことがある方なら、恐らく誰もが浴室の壁に描かれている

富士山を目にしたことがあるだろう。

ペンキ絵師とは、あの絵を描く職人のことだ。

平成21年9月現在、東京には約900軒の銭湯がある。

2600軒以上あった全盛期の昭和43年と比較すると、3分の1近くまで

減少していることになる。ほとんどの家庭に風呂が設置されるようになり、

客足が減少したことが1番の要因だ。

銭湯の減少に伴い、ペンキ絵師という職業の衰退も深刻化している。

毎日のようにペンキ絵の依頼が舞い込み、

1日に2軒の銭湯に絵を描くこともざらだった時代は遠い昔。

数十人いた絵師達は、ペンキ絵だけでは生計を立てることができなくなり、

1人、また1人と廃業を余儀なくされていった。

そして早川氏の死によって、日本に存在するペンキ絵師は僅か2人となった。

丸山清人氏と中島盛夫氏である。元気に現役で活躍中とはいえ、

丸山氏は74歳、中島氏は64歳とかなりの高齢だ。

加えて、この先さらに銭湯の数は減り、ペンキ絵の需要も減ってゆくことは

想像に難くない。

「こんなことを言うのは嫌ですが、この芸術は消え去る運命にあります。

残念ですが、誰もこの流れは防げないのです」

と、丸山氏はかつてインタビューの中で語ったことがある。

遠くない未来に、丸山氏の言葉は果たして現実になってしまうのだろうか。

鍵を握るのは1人の女性、田中みずき(26歳)だ。


〈2〉

午前8時。銭湯の脇に停められたワンボックスカーから、作業着姿のみずきが

次々と荷物を運び出してゆく。脚立や角材、鉄板、大量のペンキなど、

荷物はどれも重そうだが、みずきは辛そうな顔1つ見せない。

ペンキ絵師見習いの彼女にとって、荷物運びは基本中の基本なのだ。

「来る途中にね、立派な赤松があったんだよ。写真撮っとけば良かったな」

みずきと一緒に荷物を運びながら、彼女の師匠である中島盛夫氏が言う。

「へぇ、どの辺にですか?」とみずき。

「杉並の辺り。ほら、青梅街道沿いの…」

そんな何気ない会話を交わしながら、2人は荷物を抱えて銭湯に入ってゆく。

浴室の壁には、早川利光氏が約1年前に描いた富士山がそびえている。

中島氏はしばしその絵を見つめた後、タイルの床に腰を下ろして

ペンキを混ぜて色を作り始める。

一方、みずきは壁の周囲を、ペンキが付かないようシートで覆ってゆく。

養生といって、これもペンキ絵師の基本的な作業だ。

続いて、空の浴槽の上に足場を組み立てた後、絵の表面のペンキが

ささくれ立っている部分を金属のヘラでならしてゆく。

ここまでの作業を終えて、ようやくペンキ絵を描く下準備が完了するのだ。

小休止の後、足場の上に設置された脚立にみずきが足をかける。

手にはローラー、腰にはペンキの容器がくくり付けられている。

「気を付けなよ」と早川氏。最上段は4〜5メートルにも及ぶ高さだが、

みずきは躊躇する様子を見せずに上ってゆく。

下を見ないようにするのがコツなのだそうだ。

天井近くまで辿りつくと、みずきは水色のペンキを染み込ませたローラーを

壁に当て、ゆっくりと動かす。広がる空の上に、新しい空が生まれてゆく。

「うん、良い色だ」

離れた場所から眺めていた中島氏が頬を緩ませる。

新米のペンキ絵師は、まず空を描くことを許されるという。

見習いのみずきにとって、実践経験を踏める貴重なチャンスが

この瞬間なのだ。


〈3〉

みずきがペンキ絵と出会ったのは大学3年生の頃。

日本美術史を専攻していたみずきが、卒業論文のテーマに

「銭湯の浴室にはなぜ富士山が描かれているのか」を選んだのが

始まりだった。実はそれまで銭湯に行ったことが無かったというみずき。

だが、好きな美術作家が銭湯をテーマに作品を作っていたことを知り、

ものは試しにと近所の銭湯に行ってみたところ、

これまでに出会ったことの無い衝撃を受けた。

「歩いて10分くらいの場所にあるのに、そこだけ別世界でした。

銭湯って特別な意味がある空間ではないのに、お湯に入っていると

自分の全てを受け止めてもらえるような、すごい不思議な空間なんです」

さらに、そこで見た富士山のペンキ絵が、みずきの興味を引き付けた。

湯の中で足を伸ばし、何もかも忘れてぼんやりと眺められる芸術が

他にあるだろうか?と。

その後、湯冷めする間もなく(?)ペンキ絵の研究を始めたみずきは、

お台場でペンキ絵の公開制作イベントが行われることを知って足を運ぶ。

昭和の町並みを模した店舗が並ぶ中、銭湯の壁に見立てた

巨大なキャンバスに、魔法のような筆さばきで富士山を描いていた

ペンキ絵師が、中島盛夫氏だった。

「描いてる時のスピード感に魅せられたのと、目の前でどんどん

見上げるような絵ができてゆく様に引き込まれてしまいました」

初めてペンキ絵の制作現場を目の当たりにしたみずきは、感想をそう語る。

イベント終了後、みずきは中島氏に卒論のことを説明し、

実際の現場を見学させてもらえないかとお願いする。

中島氏は快く承諾するのだが、このときみずきは既に

「この人に弟子入りする!」と密かに決意していたのだった。

何度目かに見学に行ったとき、みずきは思い切って中島氏に打ち明ける。

「私もペンキ絵を描きたいんですけど、弟子は取ってますかって、

そんな聞き方をしたと思います」

だが、中島氏の返答はNOだった。銭湯やペンキ絵師の現状を誰よりも知る

中島氏の、未来ある若者を路頭に迷わせたくないという思いからだった。

みずきは必死に懇願した。

生活の面倒まで見てくださいという訳じゃありません。

私は絵の描き方を教えて欲しいんです。

この芸術を途絶えさせるわけにはいかないんです、と。

すると、みずきの熱意が中島氏の心を動かした。

「他に仕事を持つこと」を条件に、中島氏はみずきの弟子入りを認めた。

約束通り、みずきは大学院卒業後に美術系の出版社に入社。平日は会社員、

土日は師匠の元で修業という、ペンキ絵師見習いの日々が始まったのだった。


〈4〉

午前10時15分。男湯と女湯の境界付近、文字通り銭湯のど真ん中の位置で、

中島氏が脚立に上る。空はみずきの手できれいに塗り終えられ、

これからいよいよ主役とも言うべき富士山が描かれるのだ。

中島氏が手にした筆は、壁に触れた次の瞬間、まるで水中に放たれた

魚のように、生き生きと動き始めた。とにかく早く、微塵の迷いも無い。

たちまち雪に覆われた山頂と、優雅な稜線が姿を現した。

中島氏は時折壁から離れ、全体の構図を確認する。そして何か呟いた後、

また作業を再開する。みずきは中島氏の傍らで、ペンキのパレットを

差し出したり、脚立を支えたりと、アシスタントに徹している。

静まり返った空間に、筆が壁にぶつかるペン、ペン、という音だけが

響き続ける。


〈5〉

ペンキ絵の発祥は、大正時代にまでさかのぼる。

かつて神田にあった銭湯「キカイ湯」のオーナーが、お客さんに

楽しんでもらうためにと考案したのがペンキ絵だった。

そこに目を付けたのが広告代理店である。

所属する絵師がペンキ絵を無料で描く代わりに、絵の下に広告を

掲載させてもらうという仕組みで、多くの銭湯にペンキ絵が描かれていった。

当時、町中の人々が集う銭湯は、最高の広告媒体だったのだ。

だが、その後広告の需要は減ってゆき、広告代理店は消滅。

ペンキ絵だけが文化として残り、現在に至っている。

ちなみに、初めて銭湯にペンキ絵を描いたのは、川越広四郎という

静岡出身の画家だった。彼が描いたのが富士山だったことから、

銭湯に描かれる絵は富士山に定着したというのが、現在残っている

最も有力な説である。


〈6〉

午後1時30分。富士山が威風堂々とその全姿を覗かせ、男湯側の麓に海岸、

浮島などの風景が描かれたところで、ようやく昼食の時間だ。

みずきがコンビニに弁当を買いに行っている間、中島氏は

持参した鍋を取りだし、ガスコンロにセットする。

ペンキ絵を描くときのように鮮やかな手つき…とまではいかないが、

焼き松茸に松茸と茄子のスープという豪勢な料理がたちまちできあがる。

デザートにはバナナとブドウまで用意している周到ぶり。

「すご〜い!」

戻ってきたみずきが歓声を上げる。

「ちょっと味が濃いかもしれないなぁ」

言いながら、中島氏は笑顔でスープをよそう。みずきが弟子入りする前は、

いつも1人で作業を行い、1人で昼食を採っていた中島氏。

人をもてなすことが大好きだという中島氏は、みずきとの昼食が

とても楽しそうだ。しかも、この日は銭湯の定休日。

営業時間前に終わらせる必要がないので、ややのんびりすることが

できるのだ。

「こないだ弁天湯から電話があってね、お客さんが喜んでたよ、

ありがとうって言ってたよ」

更衣室の床に腰をおろし、弁当を頬張りながら、中島氏が笑顔で言う。

「本当ですか!嬉しいですね」とみずき。

彼女自身も、ペンキ絵見習いを始めて1番嬉しい瞬間は、

お客さんに絵のことを喜んでもらえたときだという。

「さあて。仕上げしたら、午後は女湯だな」

中島氏が言い、2人は浴室に目を向ける。

窓から差し込む日差しが、描き途中のペンキ絵を照らしている。


〈7〉

みずきは作業中、こまめに現場の写真をデジカメで撮影している。

後で作業内容を確認するためでもあるが、同時に自身のブログに

アップするためでもある。ペンキ絵の技術を身に付けるだけでなく、

より多くの人に銭湯の魅力を発信してゆかなければならない。

それが、次世代を担うみずきに課せられた使命なのだ。

「お子さんを持つお母さんとか、子育てをしてる方に

もっと銭湯に来て欲しいですね」

 女性ならではの視点から、みずきはそう語る。

「お母さんって気を抜く瞬間が無かったりするので、

近くに癒しスポットが無ければ、

ぜひ銭湯で気を抜いてほしいです。

お子さんを連れて来ても、体を洗ってる間は他のお客さんが

面倒を見てくれたり、知らない人同士でも頼り合える空間なんですよ。

けど、機会が無ければなかなか行かないのが現状なので、

例えば親子でペンキ絵の一部を描いて、その後一緒にお風呂に入ったり、

そういうイベントができたらなぁと思います」

銭湯を盛り上げたいというみずきの取組は、決して孤軍奮闘ではない。

銭湯を愛する多くの人達によって、銭湯をテーマにしたトークイベント

「東京銭湯ナイト」、銭湯でロックライブを行う「風呂ロック」、

銭湯通が知識を競う「銭湯検定」など、連日数々のイベントが

開かれているのだ。

いつかのブログで、みずきはこう書いている。

「結局、人なんじゃないかと、ぼんやりと思いました(中略)

たくさんの人が過ごした時間が、大切に残って、そしてまた何か生めたら、

本当に豊かな銭湯というものが見えてくるかもしれない。、、、と思います」


〈8〉

午後4時50分。ペンキ絵は着々と完成に近づいている。

女湯側の富士山の麓に現れたのは、湖、滝、岩山などの風景だ。

中島氏は筆やペンキをこまめに変え、細かく手を入れながら

さらに臨場感を加えている。

「みずき君、雲を描いてごらん」

仕上げをあらかた終えた後、不意に中島氏が言う。

みずきは少しだけ戸惑った表情を浮かべる。

「どの辺に描けばいいですか?」

「どこでも良いよ。自由に描いてごらん」

みずきは頷き、脚立に上って雲を描いてゆく。

中島氏は手取り足とり指導するタイプではない。

まずはみずきの思うように描かせるのだ。

それが難しいところでもあり、楽しいところでもあるとみずきは言う。

「遠慮したらだめだよ」

みずきの描いた小さな雲を見て、中島氏の檄が飛ぶ。

「はい!」

筆を持つみずきの手に力がこもる。

水色の空によく映える、白くて大きな雲が次々と生まれてゆく。


〈9〉

みずきがいつも鞄に入れて持ち歩いているものがある。それは石鹸箱だ。

中には石鹸でかたどった小さな富士山が入っている。

「御守りみたいなものです」とみずきは言う。

「銭湯っていう空間は、自分を全部受け止めてくれる感じがするんです。

自分の手元にもそんな空間があって、いつも自分を受け止めてくれたら、

辛いことがあっても気が楽になるんじゃないかって」

当たり前だが、みずきはペンキ絵師見習いであると同時に、

ジブリ作品が好きだったり、美術館や水族館に行くのが好きだったり、

お酒を飲むのが好きだったりする、26歳の女性でもある。

時には迷い、悩み、試行錯誤し、それでも前向きに

日々を生きてゆく姿こそが、彼女の等身大の魅力なのだ。

「やっぱり、自分で1枚描けるようになりたいですね」

目標を尋ねると、みずきはきっぱりと答えた。

「ペンキ絵師って、自分が描いた絵は誰にも負けないと思うようにならないと

できない仕事です。この銭湯のこの場所だったらこの絵しかないというのを、

自分で描かなければならないんです。師匠が描いたのではなく、

私が描いたんですって言いきれるものを描かなければならないと

思っています」

それはいつぐらいだろうか?尋ねると、みずきは微笑んで答えた。

「そんなに、遠くないと思います。分からないですけどね(笑)」


〈10〉

午後8時半。ペンキ絵師の長い1日はようやく終わろうとしている。

早川氏が描いた力強いタッチの富士山は、

中島氏の穏やかで優しい富士山に生まれ変わった。

銭湯の主人もやって来て、ペンキ絵を満足そうに眺めている。

その傍らで、中島氏とみずきは疲れた様子も見せず、

黙々と片付けを行っている。

またいつの日か、中島氏が描いた絵の上にも新しい絵が生まれるのだろう。

作品が残らないのは寂しいことのように思えるが、

それがペンキ絵という芸術の宿命でもある。

それに、作品は消えても、師匠から弟子へと受け継がれてきた

技術や魂は消えない。銭湯がある限り、ペンキ絵もまた永遠なのだ。

銭湯の出入り口から、普段着に戻った中島氏とみずきが現れる。

知らない人から見れば、まるで仲の良い親子のように見える2人だ。

すっかり夜が更けた町を、2人は中島氏が運転するワンボックスカーで

遠ざかってゆく。

銭湯という場所が、古くから日本人に愛されてきた理由。

それを改めて実感できたような気がした。



田中さんのブログ「銭湯ペンキ絵師見習い日記」です。
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2009年08月13日

カフェスタッフ

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制服の胸元を開け、棟田義人(24歳)はペーパータオルで額の汗を拭

う。だが、汗は拭っても拭っても噴き出してくる。

「あち〜」

送風口の下に移動して、棟田はようやく涼しそうに目を細める。

長い髪が風に揺れる。カフェの厨房内には巨大な石窯オーブン

設置されているため、空調の利いた客席と違って暑いのだ。

棟田が働くカフェは、20席ほどの小さな店だ。平日の午前中のため、

客足は少ない。

オーダーは一休止、仕込みなどの作業も残っていないので、

スタッフ達は暇を持て余している状態だ。

「暇ですね〜」

棟田は呟き、同じく額に汗を浮かべている小川(24歳)に話しかける。

「ビリヤードとか行きます?」

「いや、あんまり行かないっすね。前は結構行ってたんですけどね」

基本的に厨房は2人体制だ。2人とも調理の経験はないが、

メニューはどれも冷凍食品なので、仕事は少しも難しくない。

「こないだ、バイト終わった後に○○さんと行ってきたんですよ。

ボロボロにしてやりましたよ」

棟田が笑顔で言う。○○というのは、同じ店で働く他のスタッフのこと

だ。

「何やったんですか?」

「エイトボールです。3時間くらいやってましたね」

2人は年が同じだが、会話をするときはお互い敬語だ。

続いて、会話は金融商品の話に移る。

「株をやってみようかと思うんですけど、何を買えばいいのか全然分か

らなくて、結局何もしてないんですよね」

という小川は、最近証券口座を作ったばかりだ。

「俺もFXでも始めようかと思ってるんですけどね」

と棟田が言う。

「所詮FXとか株とか、ギャンブルじゃないですか。

社会のためにはクソの役にも立ってないし、どうなんですかね」

「けど今はマネー経済が主流ですからね。

金儲けの手段って割り切ってやればいいんじゃないですか?」

と小川が返す。小川は金への執着が強い。

隙間産業を狙って起業を目論んでいるのだが、

まだどのようなジャンルで行うかは模索中だ。

「金を稼ぐ手段としては別にいいと思いますよ。

ただ、ああいうので金稼いで、でかい面してる奴らは気に入らないです

ね。所詮パチプロと同じようなもんじゃないですか」

棟田の口調に、軽蔑の色が混じる。彼は政治や経済から時事のニュー

ス、国際問題、パソコン、語学、映画や音楽や文学など、幅広い知識を

持っている。

最近読んでいる本は、ドストエフスキーの「カラマーゾフの兄弟」。

影響を受けた本は、ジョージ・オーウェルの「像を撃つ」というエッセ

イだ。

これから絞首刑にされる死刑囚が、処刑場へ向かう途中、水たまりを避

けて通る。

そこに人間の本質が垣間見えたというエピソードが、特に印象に残って

いるそうだ。

「けど、お金が無いと何もできないですからね。やりたいこととか。

稼ぐに越したことはないですよね」

小川が言う。「ナニワ金融道」や「ミナミの帝王」が彼の愛読書だ。

知人に数十万円の金を貸し、返ってこなかったという過去の経験が、

彼の金への執着を強くしているのかもしれない。

「まあ、そうっすね」

と棟田。


「棟田くん」

ホールの女性スタッフが、苦笑しながら厨房に顔をのぞかせる。

外国人のお客さんが来てるんだけど…」

「マジっすか?自分が行ってもいいんですか?」

「いい?お願いして」

棟田は少しだけ張り切った表情でホールに出てゆく。

外国人の客に声をかけ、幾度かやり取りをした後、

棟田は少しだけ得意げに厨房に戻ってくる。

「オーダー、パニーニとアイスでした」

「ありがとう!」

女性スタッフが笑顔で礼を言う。

「ちょっと見直しました?」

「うん、すごいと思った」

「でしょ?」

棟田は大学時代、2年間イギリスに留学した経験がある。

交換留学の候補生を募集していたので、何気なく応募してみたところ、

高い競争率を通過して選ばれたのだ。以来、イギリスの魅力に取りつか

れ、バックパッカーのような気ままな旅で、何度も訪れているのだ。

現在カフェで働いているのも、再度イギリスへ留学する資金を貯めるた

めだ。

「通じました?」

対照的に、国外に1度も出たことがなく、興味も無い小川が尋ねる。

「ええ、通じました。緊張しましたけど」

棟田が笑う。


お昼時を迎え、カフェは少しずつ忙しくなってゆく。

午前中とは違い、ホールも厨房もスタッフが慌ただしく駆け回る。

「立ち食いソバ屋で食ってきたんですけど」

昼食から戻ってきた棟田は、忙しなく手足を動かしながら言う。

「店員がサービスでワカメどさって入れてくれたんですよ。

いっつもかけそばばっか食ってるから、可哀そうに思われたんですか


ね」

「制服のまま食いに行ってるんですか?」

驚いた様子で小川が尋ねる。

「そうっすよ。行ってないんですか」

「オレは行ってないですね。何か恥ずかしくないっすか?」

「余裕っすよ。普通にこの格好で街中まで行ってますよ」

棟田は制服の襟元を軽く摘んでみせる。白いワイシャツに、紺のズボ

ン、黒い靴。それがこのカフェの制服だ。

小川は制服のまま店の外に出たことが無い。

お昼はいつも弁当を持ってきて、店内で食べているのだ。

「グラタン、ワン!カレー、ワン!アイスツーお願いします!」

「ピザ、ワン、キノコパスタ、ワンお願い!」

「チョコパお願いします」

ホールから次々と注文が飛び込んでくる。作業に追われると、さすがに

無言になる。

「昼間っからパフェなんて食うなって感じですよね」

パフェを作りながら棟田がこぼす。パフェは手間がかかるのだ。

それから、再び会話が途絶える。黙々と調理作業が行われる。


時刻は午後3時を回る。客足は若干落ち着いて、

厨房内には再びゆったりとした時間が流れる。

「ゴリラとチンパンジーと人間って」

棟田が言う。

「98パーセントDNAが同じらしいんですよ。だったら、

人間同士の差なんてそれこそ屁ですよね。少し早く走れるとか、

少し頭がいいとか何の意味もないですよね」

「へえー。だったら、大金持ちとホームレスの違いなんてのも、

本当はないのかもしれないですね」

興味深げに小川が言う。

「正にそうですね。だから成功して金持ちになっても、

本当は意味なんてないんですよ。カフェでバイトなんかしてる自分が

こんなこと言うと、負け惜しみって言われるかもしれないですけど、

俺はそれがどうしたって言ってやりますね」

「まぁ、けどやっぱり金は無いとダメですよね」

棟田は思想主義、そして小川は現実主義の発言が多い。

「うわ、見てください!」

棟田が不意に店の入り口を指さす。

中年女性の団体客を、ホールスタッフが席に案内しているところだっ

た。

「帰る直前に、面倒くさい注文が来そうですね」

「勘弁してほしいっすね」

果たして、パフェやケーキなど、手間のかかるメニューが殺到し、

厨房はたちまち戦場と化す。棟田の額に再び汗が噴き出る。

しかめっ面でカット・フルーツをパフェに乗せ、風邪ひきのような

やつれた声でホールに告げる。

「パフェ、お願いします」


午後4時。遅番のスタッフがやって来る。早番は勤務終了の時間だ。

棟田と小川は開放的な表情を浮かべ、石鹸で手を洗う。

「世田谷って何かありますかね?」

棟田が言う。

「世田谷のどこですか?」

「世田谷です。世田谷駅です」

小川は手を拭きながら、首を振る。

「下北とかならよく行きますけど、世田谷って行ったこと無いから分か

んないですね」

「知り合いが英語劇か何かやるらしくて、今日観に行くんですよ」

「へえ、英語劇ですか」

小川はあまり興味が無さそうだ。

「俺は今日はまっすぐ帰ります」

2人は店の奥の更衣室で着替えると、同じく早番の女性ホールスタッフ

達と合流し、タイムカードを打って店を出る。

「じゃあ、お疲れさまでした!」

「お疲れさまでした!また明日」

仕事で同じ時間を共有した彼らが、これからそれぞれの時間を過ごすべ

く、それぞれの場所に向かうのだ。

明日も明後日も、カフェにはたくさんの客が訪れる。



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2009年06月30日

旅人

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誰かに似ている。そう思いながら、僕は『はなのうず』こと山下卓男

(ミュージシャン/27歳)のブログを読んでいた。

開設以来約4年間、彼はほぼ毎日ブログを書き続けている。しかも1つ1

つの記事が長文のため、僕はブログを読破するのに5日間もの時間を費

やした。量だけで言えば「罪と罰」に匹敵する大長編だが、不思議と読

みながら疲労感を覚えることはなかった。

そもそも、彼のブログに書かれているのは情報ではなく、また記録でも

ない。メッセージ、という表現が近いかもしれないが、そのひと言だけ

では不十分に思える。

例えるなら、コップから水が溢れるように、山下卓男という器に納まり

きれず、溢れ出た思いが文章になったもの。そういった感じだ。


都内の居酒屋で、はなのうず氏(『はなのうず』は元々ユニット。現在

は訳あって山下卓男1人だが、活動は『はなのうず』として行っている

ため、この記事内でも以下その呼称)にインタビューを行った。愛知県

出身、19歳の頃に上京してきたという彼は、関西のイントネーションが

残るも、丁寧な口調で質問に応じてくれた。

日本全国を旅しながら、1年間に47都道府県で100本のライブを行う。は

なのうず氏が現在取り組んでいる活動がそれだ(ちなみにこのインタビ

ューが行われた5/7の時点で、既に約1/3のライブが終了している)。

旅の持ち物はギターと簡素な手荷物、それに自らのCDのみ。生活費は基

本的にCDの売上で捻出するという、過酷な自給自足のツアーだ。

「…すごい行動力ですね」

僕は感嘆してそう告げる。

「よく言われるんですけどね、好きなことをするのは自然なことだと思

ってますね。だから、自分が特別だとは思ってないですね」

レコード会社に所属しているわけではなく、メジャーデビューしている

わけでもないはなのうず氏には、もちろんマネージャーもプロデューサ

ーもいない。ライブハウスへのブッキングもCDの販売も宿探しも、何か

ら何まで全て自分で行うのだ。

この日本全国弾き語りの旅は、今から6年前に初めて決行されて以来、

毎年の恒例となっている。


はなのうず氏が音楽を始めたのは、高校3年生の頃。路上でオリジナル

曲を歌っていた友人に触発され、自分もオリジナル曲を作りたいと、ア

コースティック・ギターを母親に買ってもらったのが始まりだった。

念願のオリジナル曲を作り、路上デビューを果たして満足していた彼だ

ったが、ある夜「ザ・ブルーハーツ」のライブビデオを見て衝撃が走っ

た。

ヒロトが、マーシーが、河ちゃんが、梶君が、ステージの上でロックン

ロールを奏で、数万人の観客の心を動かしている。その光景に鳥肌が立

ち、心臓はたちまち早鐘を打ち始めた。

「見てたんですけどね、それまでもそのビデオを。CDも聴いてたんです

けど、何かその夜は感じるものがあって」

何かが変わりそうな予感がして、その夜はほとんど眠ることができなか

った。翌日の朝一番、はなのうず氏は友人に電話をしてこう告げた。

「バンドしようや」。

そして、彼がリーダー兼ボーカルを務めるバンドは始動する。1年間猛

練習した後、念願の初ライブ。曲は、はなのうず氏が書き溜めたオリジ

ナル曲を中心に選曲した。


ライブが終わって数時間が経っても、メンバー達の興奮は一向に冷めや

らなかった。1人硬い表情のままだったはなのうず氏以外は。

メンバーの部屋でライブビデオを見ながら皆で騒いでいる最中、彼は不

意にこう告げた。

「オレ、バンド抜けるわ」

一瞬にして場の空気は凍りついた。冗談だろ?とメンバーの1人が笑い

ながら言う。だが、はなのうず氏の表情を見て、メンバー達はそれが冗

談でないことを悟った。

必死の説得が続いたが、はなのうず氏は決断を変えなかった。話し合い

の最中、ドラマーはひと言も喋らずに涙を流していた。

そして、バンドは解散。そこには、何事も抱え込んでしまう性質だった

はなのうず氏なりの苦悩があった。

「集団の中で、言いたいことも言えなかったり、遠慮というか、抑えて

しまっている自分がいたんです。バンドってこんな関係じゃいけない。

そう思って、一旦離れることを決めたんです」


失意の中、はなのうず氏は何かに導かれるかのように、ギターを持って

旅に出た。

少々溜まっていた貯金を財布に詰め込み、クビを覚悟でバイト先に長期

休暇を申請し、移動手段には原チャリを選んだ。目的は「弾き語りをし

ながら本州を一周すること」。

出発早々に原チャリが壊れるというアクシデントに見舞われるも、彼は

電車に乗り代えて旅を続けた。ここで戻ったら何も変わらないと思っ

た。引き返すつもりはさらさらなかった。


旅の思い出は、とてもひと言では語りきれない。

怪しげな宗教の勧誘に迫られたこともある。

宿が見つからず、野宿をしたこともある。

ゲイに襲われ、貞操を奪われそうになったこともある。

音楽評論家を名乗る人物に歌詞を酷評され、悔し涙を流したこともあ

る。

それでも、はなのうず氏はへこたれなかった。

路上ライブをする彼の前で足を止めてくれた人。曲に聴き入ってくれた

人。良かったですと言い、CDを購入してくれた人。投げ銭をしてくれた

人。差し入れをしてくれた人。食事をご馳走してくれた人。自宅に泊め

てくれた人。そして、友達になってくれた人。

はなのうず氏は路上で歌い、ライブハウスで歌い、そしてまた次の歌う

場所を目指して旅を続けた。行く先々でのたくさんの出会いと人の優し

さが、孤独な旅を続ける彼を支え続けた。

極度の人見知りの彼だが、初のヒッチハイクに挑戦もした。以前の彼か

らは考えられないことだそうだ。


数え切れないほどの出会いの中で、忘れられないのが山形で出会った人

達のことだ。

夜、山形駅の前で引き語りをしていると、1人の中年男性が声をかけて

きた。

「うちの店でやらんか?」

話を聞くと、その人物はバーや居酒屋の経営者。少々の怪しさと不安を

ノリで打ち消し、はなのうず氏はその人物が経営しているというバーで

歌うことになった。

最初はブルーハーツの曲を歌っていたが、客にオリジナルをリクエスト

されて「血」という曲を歌った。

「血が流れるのはそこらじゅうじゃなくて 

体の中だけでいい」

そんな歌詞が印象的な、反戦の思いを込めたメッセージソングだ。

歌い終えると、猛烈な拍手がはなのうず氏に向けられた。客席を見渡す

と、1人の客が涙を流していた。それを見た瞬間、はなのうず氏の胸

に、言葉にできないほどの感情が込み上げてきた。

「それまでは、音楽っていったらバンドだと思っていました。けどこの

ときの経験のおかげで、人に何かを伝えるのには、別にバンドじゃなく

てもいいんだなって。1人でもちゃんと伝わるんだって思いました。だ

から、この1人旅が自分の原点なんです」


音楽を始めた当時は、「プロになって音楽で飯を食ってゆく」ことこそ

が答えであり、幸せであり、ゴールであると頑なに信じていたはなのう

ず氏。

だが、旅での経験や様々な出会いが、彼の思いを少しずつ変えていっ

た。

「今は好きなことをしたい、に変わってますね。好きなことをするに

は、プロになるだけが手段じゃない。それは音楽で飯を食えればいいで

すけど、ギリギリの生活でも好きなことを続けたいですね」

そんな言葉通り、面白そうなことを思いつくと、実行に移さないと気が

済まないというはなのうず氏。

例えばあるとき、ミュージシャン仲間と「路上という場所で何かできな

いか?」と話していたときに思いついたのが、「路上番組」。

早速「O・A中」という看板を制作し、テーマ曲を作り、毎週月曜日の

夜、路上を舞台にその番組(?)はスタートした。

番組名は「ろくでなきブルース」。トークや遊びのコーナー、ゲストミ

ュージシャンを招いてのライブなど、予算はゼロながらも、はなのうず

氏達は勢いとアイデアで番組を盛り上げ続けた。ちなみに、立ち止まっ

てくれる人が1人につき、視聴率は1%とカウント。1クール続いたう

ち、平均視聴率は●%だったとか。

また、「もてたい」という男子達で結成したバンド「義理義理ボーイ

ズ」。クリスマスやバレンタインなど、季節にちなんだ曲を作って路上

で歌った。バレンタインには「ギブ・ミー・チョコレート」という曲のCD

を制作し、現金ではなくチョコで販売するというあざとい作戦で、見事

に念願のチョコをゲットしたとか、しなかったとか。


「何が成功か分からないし、金持ちが良いかどうかも分からないし。瞬

間だと思うんですよ、幸せの形って。僕は良いもん食えるとかいう生活

じゃないけど、生きてる中で良いなって思える瞬間があるんです。それ

がライブだったり、人と音楽について話す瞬間だったりするんですね。

その瞬間をいっぱい感じてゆければいいなって思いますね」

幸せについてそう語るはなのうず氏だが、現実から目を背け続けて生き

てゆくことは困難だ。年齢も20代後半に差し掛かり、決して若くないこ

とも自覚している。将来について、友人達からアドバイスを受けること

もあるという。

「完全に迷いがないかって言ったら、嘘になります」

けど、と彼は笑顔で言葉を続ける。

「迷いのない人間なんて面白くないし、そういうリアルな思いを歌にし

ていきたいですね。

僕は弱っちい歌が響くんですよ。だからこそ、そういうのを歌にして伝

えたいですね」


残りの2/3のライブを達成すべく、現在も旅の真っ最中のはなのうず氏

だが、同時に一緒に音楽ができるバンドメンバーも現在募集している。

理由は単純に「1人より大勢の方が気持ちいいから」。

かつて、自身の迷いのために終わってしまったバンド活動。だが、旅や

たくさんの出会いを通して成長できた今なら、きっとその続きができる

に違いない。


インタビューを終え、僕らは店を出た。はなのうず氏は今日もこれから

路上ライブをするのだそうだ。

彼と別れて歩き出し、僕はようやく気づいた。彼が誰に似ているのか。

その人物の名は、フォレスト・ガンプ。

フォレスト・ガンプは素直であり、泣き虫であり、行動的であり、そし

て人間愛に人一倍敏感だ。だから(だと僕は思っている)彼は走り続け

た。

そして、はなのうず氏もまた走り続けている。


最後に、はなのうず氏の代表曲の一つ「シタイ」の歌詞をここに載せ

る。

こんなにストレートで素敵なラブソングを、僕は世界で5曲と知らな

い。


「おしゃべりしたい

手を繋ぎたい

キスしたい

できればシタイ


今すぐ会いたい

色々知りたい

イチャイチャしたい

できればシタイ


腹が立つこと時々あるけど

カチンとくることたまにあるけど

スキ スキ スキ スキ


声が聞きたい

顔が見たい

裸が見たい

できればシタイ


デートがしたい

一緒に行きたい

一緒に生きたい

一緒にイキたい


直して欲しいところ いくつかあるけど

合わないところも 少しはあるけど

スキ スキ スキ スキ


例えば君が死体になっても

スキ スキ スキ スキ」



追伸

はなのうず氏は2009年末、「ニッポンで100ポンライブだポン!ツア

ー」で出会ったミュージシャン達を、47都道府県から一同に東京に招待

し、3日間に渡る大規模なライブイベントを計画しているそう。

彼1人だけの力では、とても実現不可能なイベントです。どんな形でも

結構ですので、協力してくださる方を大募集しています。僕もぜひ協力

させていただく予定です。

興味を持たれた方は、ぜひ以下のブログからはなのうず氏までご一報く

ださい。

ブログ『はなのうずの頭脳』
http://blog.livedoor.jp/hananouzu/



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posted by Kazuyuki.K at 11:22| Comment(0) | TrackBack(0) | コラム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年04月10日

【号外】【お知らせ】東京スカイ・ウォーキング

【告知です】
今回はノンフィクション・コラムではありません。。。
前回のメルマガで告知いたしましたが、
僕が脚本を書いた舞台の公演がいよいよ迫ってきましたので、
その案内をさせてくださいm(_ _)m



演劇集団(?)ムーンバーク 立ち上げ公演
『ジャンゴ 〜世界は日の出を待っている〜』

【日時】4月25日(土)・26日(日)
START 14:00/18:00

【場所】@ ひつじ座(阿佐ヶ谷)
地図はこちら↓
http://www.aries-net.jp/hitsujiza/map.htm

【チケット】
¥1500(前売/当日)

【STORY】
「お前に必ず会いに行くよ。約束する。」
1930年代のパリ −衝撃が世界に走った−伝説のギターバイオリン
三本指の天才ギタリスト、ジャンゴ・ラインハルト
心に迫るバイオリンの詩人、ステファン・グラッペリ
軽妙洒脱で奔放で、それでいてたまらなく哀切で・・・
そんな音を体が覚えている。

2008年、東京。 誰もが心を擦り切れさせながら、生きている。
諦めや虚しさを、はったりと酒とタバコと 取ってつけた軽薄さで紛らわしながら。
でも、いつの日か、出会う、そして目覚める。
前世から繋がる想いが、旋律が そして新しい絆が生まれる。

「ジャンゴにあいたい・・・。」



◇小コラム
脚本を書き終えた僕は、スケジュール管理や買出しなど、
裏方の仕事に励んでいます。
本番が約二週間後に迫り、楽しみな反面、怖さもかなりあります。
・・・が、もう引き返せないし、脚本を書き直すこともできない。
自分、役者さん、演出家さん、みんなを信じて、後は当日楽しむだけです。

また、舞台を作るって本当に大変な作業なのだなと、改めて実感しています。
こんなに大変なこと、好きじゃなきゃ絶対にできないでしょう。
けど・・・できるんですね。役者さんもスタッフさんも、みんな舞台が好きな人ばかりだから。
成功します。間違いなく。

あと、一点訂正です。
当日楽しむだけです、とさっき書きましたが、当日観客の皆様に楽しんでいただくだけです、と訂正します。
自分達だけが楽しいだけのエンターテイメントなんて、お客様からお金をいただく資格は無いですから。

ストーリーですが、小難しい話ではありません。エンターテイメントです。
気軽に楽しみ、笑い、切なくなり、そして観終わった後は、大事なあの人に会いたくなっている、そんな物語です。
多くの方のご来場を、心よりお待ちしております。


posted by Kazuyuki.K at 07:03| Comment(0) | TrackBack(0) | その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年03月31日

吉祥寺の暴れん坊

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吉祥寺のライブハウスに僕はいた。

前のバンドが演奏を終え、照明の落ちたステージでは転換が行われている。

BGMが流れる中、先程までヒートアップしていたライブハウス内の熱気は

いつしか冷め、観客達は雑談をしたり、タバコを吸ったり、カウンターで

ドリンクを注文したりなど、緩やかな時間に浸っていた。

ライブハウスから出てゆく客達もいたが、僕は逆にステージの近くに

歩み寄った。目当てのミュージシャンの出番が、いよいよ次だからだ。

ただ、目当てと言っても、知人に誘われて初めて見るので、予備知識は皆無だ。

率直に言ってしまえば、品定め的な意味での偏屈な期待感を感じていた。

やがてBGMが途切れ、すっと客席の照明が落ちた。ライブがスタートする合図だ。

まばゆい照明がステージを照らし、中央に立つその人物を映し出す・・・

次の瞬間、僕を含め、観客達は一様に目を見張った。

なぜか女子高生のコスプレで登場したミュージシャン、ヌーダ・ピッシャーズ

(年齢不詳)は、髪を振り乱して客席に身を乗り出し、異様なほどの

ハイテンションでシャウトした。

「エリコ〜!!!!!」


■ヌーダ・ピッシャーズ

年齢、性別、出身地等すべて不明。

主に都内のライブハウスや吉祥寺の路上で弾き語りを行っており、

そのパフォーマンスは学校帰りの学生や飲み会帰りのサラリーマン

外国人の観光客達から写真を撮られるほど個性的。

6月には某テレビ番組で、「吉祥寺の暴れん坊」というキャッチフレーズと

共に紹介された。


以上はWEBで紹介されているヌーダ・ピッシャーズのプロフィールである

(ちなみに名前は複数形だが、活動は基本的にソロだ)。

今、僕は都内の居酒屋で、彼と(性別不詳とのことだが、僕の目には男性に

映ったので、こう表記させていただく)向かい合っている。

「アボガド食わないんすか?美味いっすよ!しょうゆとワサビ付けて食うんすよ。

いや、そんな嫌だったらいいですよ!無理やり食わなくてもいいですよ!」

ヌーダ氏は、何故かやたらアボガドの刺身を推す。店内はほぼ満席だ。

あちこちに一日の職務から解放された客達の笑顔が溢れ、その会話や笑い声が、

店員の威勢のいい声と重なって響き渡る。


僕はこの原稿を書いている現在までに、ライブハウスで二度、路上で一度、

彼のライブを観た。動画投稿サイトで公開されている路上ライブの映像も、

繰り返し観た。

まるで狂ったようにステージを駆け回り、飛び跳ね、髪を振り乱して足を上げ、

汗を飛ばしてシャウトするその姿。

「エリコはやわらかメシが好き」「AV女優に花束を」など、

コミックとしか思えないようなタイトルの曲達。

冒頭で書いた女子高生のコスプレを始め、ライブ中に客席になだれ込んだり、

客をステージに上げてコーラスをさせたり、演奏中に他のミュージシャンに

熱い接吻をしたりなど、ともすれば客が引いてしまいそうなパフォーマンスの数々。

どのライブ(あるいは映像)を観たときでも、一度観たら忘れられないような、

それどころか夢にまで現れそうな、強烈な印象が残っている。

恐らく僕だけでなく、他の客も同様だろう(突然コーラスをさせられた

客の女の子など特に)。

して、それこそがヌーダ氏の目論見であり、身上であり、生きる道であるのだ。


「根本的に、ライブやりますってなったときに、ただ歌うっていうのは嫌で」

とヌーダ氏は語る。

「ほとんどの人(ミュージシャン)は、歌うってことで自分を表現し

いるんだと思うんですよ。ただ僕はそうじゃなくて、違う形で表現したいんですよ。

歌ってる人達と同じところに立とうと思わないわけですよ。

歌って聴かせるっていうのは上手い人に任しとけばいいし、

そこにいる人たちと楽しみたいなっていうのがすげーあるし」

音楽のことを話しだすと、ヌーダ氏の口調は次第に熱く、

またフランクになってゆく。

「例えばライブハウスで、オレのことを嫌いだ、こいつの声は無理だとか

なったときに、三十分、四十分嫌な時間をお客さんは過ごさないと

いけないんですよ。そうなったときに、そのスタンスのままだったら、

それだけしかないんだよ。俺の感覚だとそこで終わっちゃうんだよ。

こいつの歌嫌い、けどキャラがギリギリありですってなったら、

マイナスかプラスか、プラスで終われる可能性が出てくるわけじゃん!」

ヌーダ氏は熱くまくしたてると、アボガドを頬張って中ジョッキを傾けた。


現在。そこに存在する姿は、過去の自分によって形成された現在進行形の

結果であり、それ以上でもそれ以下でもない。つまり、ヌーダ氏が現在の

音楽スタイルを手に入れたのも、ある日突然枕元に音楽の神ミューズが現れ、

啓示を与えたわけでは決してないのだ。


「高校生・・・くらいのときかな」

音楽を始めた時期を尋ねると、ヌーダ氏はそう答えた。

「ジュンスカのギタリストのモリジュンタが持ってるレスポールもどきを

買ったんです。七万くらいの。それで当時は、ジュンスカとかユニコーンとか

ブルーハーツとか、俺達の世代で流行ったバンドのコピーをやってて」

ヌーダ!分かるよ、俺もそうだったよ!!と思わず口にしたくなる同胞は

多いのではないだろうか?

何をするにも一緒の悪友達、持て余した放課後の時間、発散を求める

若いエネルギー、ギターを弾ける奴への憧れと嫉妬、自分もそうなりたいと

いう思い、小遣いを貯めて買った楽器、モテたいという下心だけでガムシャラに

練習した日々、愛しのあの子に重ねて歌ったラブソング、そしていつしか本気で

音楽を好きになっていた気持ち・・・バンドと言えば、そんな幾つものピースで

形成された普遍的な青春のシーンだが、その始まりがつまづきがちなのも、

また普遍的でほろ苦い。

「最初にやったライブが、児童館の子供達に聞かせるみたいな感じで、

オレは一生懸命歌ったんだけど、子供に耳ふさがれたんです。それで歌うのを

やめて、コピーバンドやってたのも自然消滅することになって・・・」


だが、一時的にへこたれはしても、その程度で音楽を辞めるような

ヌーダ氏ではなかった。高校を卒業して社会人となったヌーダ氏は、

ギターを練習し、曲を作り、歌を歌い、ソロとして活動を再開する。

活動・・・と一口に描くと、ひどく漠然とした意味合いしか持たなくなって

しまうが、ヌーダ氏が主戦場として選んだのは、どんなライブハウスよりも広く、

どんな音楽ホールよりも客数が多く、どんな特設スタジオよりも自由なステージ、

「路上」だった。

「色々あるけど、やっぱ面白いよ、路上は。オレの持論じゃないですけど、

路上はライブハウスより成長できる場所だと思ってるんですよ。

路上にいる人達と一緒に盛り上がるっていうのは結構難しいことで、

それが面白いことであるし、だからそこでやってる人間は強いなって思って。

変な話、全く知らない人が良かったって話しかけてくるのは、ライブハウスに

観に来た知り合いに言われるより嬉しいっすよね」

プロフィールの中にもあるが、路上で引き語りをするヌーダ氏の様子は、

音楽番組の「今週の路上」というコーナーで取り上げられたこともある。

夜の11時頃、いつもの路上で歌っていると、テレビ局の取材クルーが

突然声をかけてきたのだという。

「一曲歌って、どういう風に取り上げられるのかなって思ってたら、

ほとんどお笑いのミュージシャンみたいな扱いになってて(笑)。

けどそんなのでも、テレビ見て良かったってメッセージくれる人がいて。

是非観に行きたいって言ってくれたりして。嬉しいっすよね」


だが、あるときヌーダ氏は、再び挫折することとなる。前回の挫折が

子供に耳をふさがれた「外的要因」であるとすれば、今回の挫折は

それより遥かに厄介な「内的要因」であった。

「自分が作ってる歌詞のしょぼさに自分でも身を引いちゃって、

できなくなっちゃったんです。路上っていう人に対して表現するところで、

仲間がそれなりの世界を持ってやってるのに、オレはねえなって。

客観的に聴いたときに、これはねえなって感じられたんです。

それで止めちゃったんですよ」

挫折を経験したことのない人間は、恐らく皆無だろう。

苦悩の中、努力で光明を見出す人もいれば、誰かの助言で光明を見出す人もいる。

光明を見出せないまま、ドロップアウトしてしまう人もいる。


ヌーダ氏の傷は深かった。「音楽」という言葉の持つ、

「音」を「楽しむ」という原点の意味は、もはや何処にも見当たらなかった。

彼もまた、本気で音楽活動からドロップアウトしようかと考えていた。


そんな中、思ってもみなかった出会いがヌーダ氏を救うこととなる。

そのきっかけとなったのは、「ねずみ講」だった。


「加入者がねずみ算式に会員を増やすことにより、加入金額以上の金銭を得る

一種の金融組織(大辞泉より抜粋)」


友人からねずみ講運営への参加を誘われたヌーダ氏は、

胡散臭さを感じながらも、同時に面白さを感じ、興味本位で始めてみた。

どのようなことを行うのかというと、友人や知人に片っ端から声をかけ、

言葉巧みに商品を勧めるわけだが、当然そう簡単に契約をしてくれる人はいない。

ここでも諦めかけていたヌーダ氏に、ねずみ講を運営する会社の幹部の話が、

あるヒントを与えた。

「ねずみ講の話をして断られたとする。そんなの当たり前だよ、と

その人は言うんです。イチロー選手いますよね。彼は200本連続安打を

達成する中で、何回三振してるかご存知ですか?って」

何が言いたいか分かりますか?とヌーダ氏は言う。

「要は失敗してもいいんだよ、ってことですよね。それ聞いて、

人をやる気にさせるっていうか、面白いなって思って。

それを自分の周りで起きてる出来事で探し出したんですよ。

それが、自分が歌ってる世界観なんです」

結局は、きっかけなんて何でもよいのかもしれない。

それを届けてくれる媒体が何であるかなども同様だ

(例えばその幹部が、パンチパーマに金のネックレス、色つきメガネ

いうルックスであったとしても)。

迷走を続けていたヌーダ氏の音楽スタイルに、道しるべが下りた瞬間だった。


あるときはコンビを結成するも(ヌーダ・ピッシャーズと複数形の理由は

ここにあった)、初ライブを終えた直後に解散を切り出される。

またあるときは、知り合ったミュージシャンと意気投合し、

コンビ結成の約束をするも、その後連絡をしても電話に出る気配なし。

駅前で引き語りをしているとき、いきなり通行人にひっぱたかれたこともある。

それでも彼は歌い続ける。


多くのミュージシャンが目標にする、メジャーデビューについて聞いてみた。

「メジャーデビューは全然意識してないです。人それぞれだと思うんすけど、

そこがゴールじゃないから。音楽って言うのはオレにとって一番

表現しやすいものだから。それに賛同というか、何かを感じ取ってもらえれば。

一人でもお金払って来てくれる人がいて、それがもっと大きなものになってもらえば」

ヌーダ氏の口調が、再び熱くなってゆく。

「メジャーデビューしてもいいんだ。しなくてもいいんだ。

ただ、その場になったときにやりくりできる自分でありたいんですよ。

分かります?変わらない器っていうか、そういうのを求めてるんです」

ヌーダ氏はそこまで話すと、店員を呼び、二人分のビールを注文した。

恐縮する僕に、彼は笑顔で手を振る。深夜が近づいても、居酒屋はまだ

混雑している。ヌーダ氏の笑顔も、他の客達と同じように生き生きとしている。



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posted by Kazuyuki.K at 07:19| Comment(0) | TrackBack(0) | コラム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする